秀吉の水攻め、歴史堤防跡。
備中高松城跡 水攻め史跡公園の特徴
高松城の水攻めの史跡を実感できる貴重な場所です。
羽柴秀吉の中国攻めの戦略を学べる伝説的な公園です。
歴史を感じる雰囲気の中、堤防跡を見学できる絶好のスポットです。
映画のぼうの城の冒頭にこの堤防が出てきます。
堤防の跡の上に登ることができました。
備中高松城から南東へ約1km歩いた『蛙が鼻(かわずがはな)』には、秀吉が築いた堤防の一部が現存していて『高松城水攻め史跡公園・蛙が鼻築堤跡』として整備されています。裏山から突き出している構造がわかります。今は3メートルぐらいしかないが、当時は高さ8メートルありました。現存する堤防の上に歩いて登ることが、できます。歴史に名高い水攻めのために築造された、本物の遺構に自分の足跡を残せるなんて、感激します。高さ8m、上幅12m、ここ蛙が鼻から約3kmにわたって築かれたといわれる水攻めの堤防です。「歴史に名高い武将たちもここを歩いていたかも」と思うと感慨深いです。周辺の発掘調査も実施され、堤防の基底部の幅が約22~24mだったことが判明しており、築堤に際して崩れた土を止めるために使われた木杭や、土俵・むしろ等が見つかりました。アクセスは、JR備中高松駅から徒歩約10分備中高松城跡公園から最上稲荷神社の大きな鳥居⛩️の方へ歩き、その手前に農業用水の小さか川沿いにすすみ、直ぐにあります。
今は公園として整備されていますが、当時の堤防跡があります。今は堀となっていますがかなり距離があるのも確認できます。
特に何かが残ってるわけではないが、とてもいい史跡でした。自刃した清水宗治の首塚を見ることもできました。最後小さな案内所で映像を見ることもできて、どういうふうに水攻めしたかも理解できました。
天正10年(1582年)に織田信長の命を受けた羽柴秀吉が“中国攻め”において、毛利方の清水宗治の居城である備中(岡山県)の高松城を攻撃した戦い。秀吉が高松城を水攻めによって包囲したことから、高松城の水攻めとも呼ばれる。水攻めの最中に主君・信長が明智光秀に討たれる本能寺の変が勃発する。その報を聞いた秀吉は毛利方と和睦、宗治の切腹を見届けてから、光秀を討つ為に京都へ引き返した。
2021/4/10に訪問。何もなく広い広場になっている。木造の椅子等が腐っている。
2019年3月訪問。国道にある歩道橋の下を北側に折れてちょっと進むと駐車場があります。難攻不落の平城たるべき条件を備えた備中高松城に対して、ここを端緒として堤を築けば水攻めができるという発想をした黒田官兵衛が凄い。この堤跡が明瞭に残っていて、すぐ脇に官兵衛さんも陣取っていたということを感じ取れるのが嬉しいですね。
歴史が感じられるいい公園だが駐車場が分かりにくい。
| 名前 |
備中高松城跡 水攻め史跡公園 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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黒田官兵衛が築いた堤防の一部が保存されています。発掘後も観ることが出来、杭や俵の後が確認できます。