静かな菩提寺、綺麗な普済寺。
普済寺の特徴
住宅地にある立派な普済寺で気軽に訪問できる雰囲気です。
菩提寺としてお墓の維持費が安いのが魅力的です。
臨済宗建長寺派の寺院で、綺麗な環境が保たれています。
住宅地にある立派なお寺です。
ウォーキングの途中、初めて中に入りました。
このお寺はとても綺麗です!周りにはたくさんの花が咲いています。(原文)Muito bonito este templo!Muitas flores em volta.
お花を斬るハサミが置いてあったり、簡単な掃除用具が有って助かります。
利用していません。
菩提寺ですが、静かで、お墓の維持費もお安いです🐇
臨済宗建長寺派のお寺さんです。
| 名前 |
普済寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0463-92-2312 |
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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千秋山と号す、普済寺は、国道246号線のを跨いだ丸山城址の東南東に有ります。この寺院は臨済宗の一門で鎌倉の建長寺派末に配します。この一帯は近世以降は、丸山城址の範疇となっていますが、平安末期から鎌倉時代初期には「千鳥ヶ城(殿の窪)」と言われた一帯で、源頼朝の家人・藤原鎌足・冬嗣の血を引く糟屋庄の地頭「糟屋藤太左兵衛尉有季」の館跡が位置していた糟屋庄(かすやのしょう)と言われていました。館の南側には、「延喜式神名帳」に記載されている相模国13座の1座の高部屋神社があり、その館のやや北東側(表鬼門)の位置に當寺があります。普済寺は、室町時代の足利氏が隆盛を極めていた時代に上杉寺月鑑明公が開基し、節翁中勵(文正元年1466年卒)が開山となり創建。江戸時代の慶安元年(1648年)の徳川将軍であった家光時代には、幕府より寺領10石の御朱印状を受領していました。ご本尊は「地蔵菩薩」であります。江戸期には法徳庵(??霊場、札所第三十番)とありますが、観音寺の二ヶ寺の塔頭を擁していました。【新編相模国風土記稿による普済寺の縁起】によれば(下糟屋村)普済寺千秋山と號す、臨済宗、鎌倉建長寺末、開山節翁中勵(文正元年五月四日卒)、開基上杉寺月鑑明公(上杉氏なるべけれども、俗称を傳へず、且卒年月も詳ならず、十五日を忌日とす)、中興玄税(寛文十年八月廿七日卒)、本尊地蔵(長一尺三寸五分、行基作)、慶安元年八月、寺領十石の御朱印を賜へりしが、享保十八年紛失し(追て書替賜るべき由、命ありしと云、按ずるに雑話燭談附録に、享保廿年六月、當寺御朱印紛失に依て、諸方へ其尋を觸られし事見えたり)、今其寫三通を蔵す、本堂の軒に、宝暦四年の鋳鐘を掛。稲荷天神秋葉金毘羅合社。塔頭。法徳庵、開山玄悦、本尊正観音、行基作。長四寸八分、當国札所第三十番なり。観音寺。本尊は運慶作の閻魔なりしが、明和中丙丁に罹れり、以上二寺は、境外にありしが、今共に廃して、寺地のみ存す。(新編相模国風土記稿より)