茅葺き屋根の歴史深い神社。
高部屋神社の特徴
茅葺き屋根が特徴の神社で、趣深い風情があります。
県指定文化財の梵鐘や迫力ある彫刻が印象的です。
伊勢原駅から徒歩でアクセスできる歴史ある神社です。
延喜式内社とされる神社です。中世までの社伝は失われているものの、鎌倉時代に源頼朝の家人であった糟屋藤太左兵衛尉有季が現在の社地に社殿を再興して、糟屋庄の総鎮守としました。神社には鎌倉時代の梵鐘、雅楽面が伝来しています。現存する本殿は江戸時代初期、拝殿は末期のものとなります。本殿は関東大震災で倒壊したものの、古材を引き継いで再建されているので違和感があをません。拝殿は向拝の見事な宮彫と茅葺屋根が特徴的です。最寄の小田急伊勢原駅からは歩いて二〇分ほど、観光地と見なされていないのか途中に案内の看板も見当たらず、参拝者もまばらです。私は宮彫目当てで参拝したものの、多くの人にとってはわざわざ足を運ぶほどのものではないでしょう。ただ、伊勢原駅は大山への玄関口でもあるので、大山参詣の後に立ち寄るには便利です。社務所はあるものの神職は常駐しておらず、歩いて二〇分ほどの距離にある伊勢原大神宮の兼務社となっていて、御朱印はそちらでいただけるそうです。
高部屋神社(たかべやじんじゃ)の創建年代は不明です。祭神は、三箇男命(住吉大神)、誉田別命、大鷦鷯命、息気長足姫命、磐姫之命です。式内社「高部屋神社」の論社です。鎌倉時代、糟屋庄の地頭であった源頼朝の家人「糟屋藤太左兵衛尉有季」が、高部屋神社を守護神として新たな社殿を造営しました。現在の本殿は正保4年(1647)に再建されたものです。関東大震災で倒壊しましたが、昭和4年(1929)に柱・彫刻・正面扉等をそのまま使用し再建されました。拝殿は、慶応元年(1865)に再建されたものです。本殿と拝殿は、平成28年に国の登録有形文化財に登録されています。銅鐘は、至徳3年(1386)に平秀憲が寄進したものです。なお、銅鐘は神奈川県の重要文化財に指定されています。
お神輿担ぎの団体があります。神社にてお神輿も所持してます。大変貴重な160年前のお神輿です。お神輿保存会の団体名は、「髙神會(こうじんかい)」です。高神会とも書くようです。
社務所には、誰もいなくて、御朱印は、伊勢原大神宮でもらいました。
丸山城址公園から見えた看板が気になり参拝。茅葺屋根の拝殿が珍しい、中々歴史のある神社。道は細いが境内に駐車場あり。
茅葺き屋根の珍しい神社。延喜式内社相模国十三座のうちの一社とされてます。有力な論社として高森の高森神社もあり、こちらも昔は茅葺き屋根でしたが、火災により建て替わってしまいました。神社前には大山街道柏尾道が通り、境内には道標(庚申塔)も遺されています。1つは地中から掘り出されたもので、保存状態が極めて良好です。
相模國延喜式内社の一社。参拝時、宮司さんがいらっしゃり朱印を拝受しました。社務所は、日曜日・1日・15日の午前中になっていますが、実際は10時半頃までで不在時は伊勢原大神宮にて拝受可能とのことです。😊拝殿の彫刻が見事で、拝殿裏の愛染明王石像・本殿は力強く感じました。🙏😲境内に金比羅堂があり堂全体が強く感じました。🙏 以前は鳥天狗様を祀っていたそうですが、家に持ち帰った方が居て鳥天狗👺様が、ガタガタ動き慌てて返しに来たそうです。😲七五三の着付け等もされているそうです。関係者の方が詳しく説明して下さりまして楽しく参拝しました。☺️
今では、あまり見掛けなくなった茅葺き屋根の神社です。昔のまま残っているのでしょうか。素晴らしい所です。
伊勢原市下糟谷の国道246号線そばにあります。頼朝や家康とも多かれ少なかれ関わりを持っているとか…。参拝者の姿もそこそこ。静かな場所でした。
| 名前 |
高部屋神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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高部屋神社(たかべやじんじゃ)。神奈川県伊勢原市下糟屋。式内社(小)、旧村社。別名:八幡神社(糟屋八幡)主祭神:三箇男命(住吉大神)、誉田別命、大鷦鷯命、息気長足姫命、磐姫之命資料によると、かつてはこの神社と同名の大住郡高部屋村の村社であり、またこの地区を含む糟屋庄の総鎮守としても崇敬された。創建年代は不詳なるも、紀元前655年とも言われている。糟屋住吉の大神として、又の名を「大住大明神」と呼ばれ、武門・武士を始め万民の崇敬せられたる古社である。江戸中期頃までは、別名「糟屋八幡宮」と呼ばれ名社の名を謳われた。『延喜式神名帳』に相模国13座の内の1社と記載されており、大住郡127ヶ村の惣鎮守であった。ただし、伊勢原市高森にある高森神社も、式内社「高部屋神社」の論社の一つとされており、この神社が明治の神仏分離令以前は「高部屋神社」という呼び名であったと伝えられていることに加え、棟木や鳥居脇の石碑(裏側)に「高部屋神社」という銘文が残されていることもその理由として挙げられる。とあります。