ハゼ釣りで賑わう開拓者の舞台。
鳥越新兵衛翁頌徳碑の特徴
鳥越新兵衛翁頌徳碑周辺では、ハゼ釣りが盛んです。
笠岡市入江で、歴史と釣りを楽しむ観光スポットです。
美しい景色の中、家族での釣りを楽しめる場所です。
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ハゼ釣りでにぎわってます。
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| 名前 |
鳥越新兵衛翁頌徳碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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土木工事の開拓者の偉人です。頌徳碑の横には大正5年3月に改築した東水門の遺構が大切に残されています。頌徳碑裏の碑文鳥越新兵衛成寿は寛文11年(1671)小田郡木掘村(現矢掛町大字木掘)にうまれる。大阪に於いて尼崎屋新兵衛と名乗り土木請負業を営む。正徳3年(1713)笠岡市横島と西大島間の入海120町歩の干拓工事を幕府に出願した。出願して13年目の享保10年(1725)3月大阪商人名田屋太兵衞の援助と笠岡代官竹田喜左衞門の斡旋により幕府の許可を得た。直ちに工事に着手し、新兵衛の強い精神力と信用の高い土木技術、有力な大阪商人の援助により僅か7ヵ月で潮留を完了した。潮留後5年、享保15年(1730)7月遂に西大島新田34町7反29步入江新田15町7反、浜中(里庄町)1町8反8畝19歩、合計52町2反9畝18歩の新農地が完成した。これにより西大島新田、入江新田の2ヵ村が誕生した。その間洪水防止のため今立川堤防1112間を築くとともに用水池として名切池、津雲池をつくり、新田内に排水溝、伏樋、石樋を設置し水門2ヵ所も改築し海水の侵入を防いだ。新兵衛は功績により入江新田庄屋にとり立てられた。後に近郷5ヵ村の庄屋も兼ね入江新田竹が端に居住し干拓の運営管理り一生を捧げた。宝暦11年(1761)9月29日91歳で他界。竹が端墓地に葬られる。法名「見広院精光淨進居士」(市指定史跡)撰文 桑田昇三平成6年10月吉日(1994)施工協力 入江共助会。