海城高松城の天守台、絶景の眺めを満喫!
天守台跡の特徴
高松駅から近く、重要文化財の城跡で楽しめる風景が魅力的です。
美しい石垣やお堀から壮大な景色が見え、散歩にも最適な場所です。
「高松市:天守台跡」2026年1月に訪問したときの写真です。築城後420年を経過しており、石材の欠け。はらみ出しといった傷みが著しく、崩落の危険性が高いため修理が続けられています。ほぼ全ての石垣を解体し、再度積み上げるという大がかりなものとなっています。最小限の現代的な工法も取り入れつつ修理されたそうです。
仮設足場で登れるようになっています。高さはさほどないですが、海が一望でき、城内も見渡せます。この土台の上に天守閣が乗るわけですが、往時は高松藩の全貌を見渡せたのではないでしょうか。
昔住んでいた事のある香川高松にある100名城:高松城に往訪しました。海城と言われるだけあって瀬戸内海に面しお堀・石垣は立派です。本丸跡の天守は無いが立派な石垣の天守台があり同時のお城の様子が想像できる。艮櫓は重要文化財に指定されて立派です。玉藻公園として利用され城郭に入るには入場料200円が必要。玉藻公園内は綺麗に整備されている。月見櫓や桜御門は復元されている。本丸天守の復元を祈ります100名城スタンプは、3ヶ所で押印可能だが、西門入口は比較的早い時間に開門する為、スタンプは7時過ぎに押印出来た。季節によって開門時間は異なる様です。
2025.9.6 ホテルの目の前だったので朝8時半頃から見学して来ました。天守閣こそありませんが手入れの行き届いた松🌲等の庭園が素晴らしく電車がすぐ横を走りかたや瀬戸内海を往く観光船も垣間見られる、古の城と近代のモノが融合しているかの様な場所でした。入場料200円はお得です。
高松城(たかまつじょう)は、香川県高松市にあった**海城(うみじろ)**で、別名「玉藻城(たまもじょう)」とも呼ばれます。瀬戸内海の海水を直接堀に引き込む構造が特徴で、日本三大水城のひとつです。⸻1. 築城と起源•\t築城:1588年(天正16年)•\t築城者:生駒親正(いこま ちかまさ)•\t瀬戸内海に突き出すような地形を利用し、港と城を一体化させた海城として建設。•\t築城当初から海水を引き込んだ堀を持ち、船で本丸近くまで入れる構造でした。⸻2. 江戸時代の高松城•\t生駒氏が4代・54年間支配。•\t1640年代、生駒騒動で改易され、1642年からは**松平氏(徳川家康の孫系)**が入り、以後幕末まで11代続く。•\t松平氏のもとで城下町高松が整備され、讃岐一国を治める政治・経済の中心に。⸻3. 明治以降•\t1874年(明治7年)、廃城令により天守など多くの建物が取り壊される。•\t本丸・二の丸・三の丸の石垣や堀は残され、公園化。•\t堀の海水は現在も現役で、クロダイやボラなどの魚が泳ぐ珍しい城跡。⸻4. 現在の高松城跡(玉藻公園)•\t国指定史跡。•\t櫓(艮櫓・月見櫓・水手御門)は重要文化財。•\t天守は現存しないが、復元計画が進行中。•\t春の桜や堀の鯛の餌やり体験が観光名物。
趣味の城巡りで訪問しました。 西門から入り、鞘橋を渡りながら右側を見ると、お堀越し・石垣の間に琴平電鉄の駅が見えまます。 広島県の福山駅や三原駅のようにお城の間近に新幹線駅があるとこもありますが、駅のホームが見えて、電車の発車が見える城は稀かと思います。部分的ですが、城の外周をまわるように走る電車も珍しいので、天守台跡からの映像を撮ってみました。
高松城の天守台へ行って来ました♪高松城の天守閣は、明治3年(1870年)に廃城となり、老朽化により明治17年(1884年)に解体され、それ以降は天守台のみが残っています。しかしその天守台も老朽化により傷みが著しく、平成17年度により石垣の修理工事を開始し、すべて解体後に再度積み上げ、平成24年度に完了したとのことです。美しく積み上がっていましたね。
英語の授業が観客のための紹介して、ビデオを作った。高松で一番近いはこの玉藻公園なので初めて行って見たんです。昔の江戸時代時負けましたのでちょっと変わった建物があります。
2025.2.23訪問。天守閣は現存しませんが、江戸時代に入る前の戦国末期の特徴がしっかり残った石垣は見る価値あり。しっかり修理をしたようで状態は良好です。堀の水は海から引き込んであるだけあって透明度が高く綺麗です。
| 名前 |
天守台跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
087-851-1521 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 7:00~17:30 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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訪問日:2025/02/27四角錘の上半分を切り取ったような整った形の天守台がある。石垣の石は形が様々だ。ここは、陳列館で習ったことを元にするなら、最初の領主である生駒家(いこまけ)の時代のものだろう。城跡内をあらかた回った後、残るは天守台だ。天守への唯一の道は鞘橋を渡ることだ。これは今も昔も変わっていない。何かあった時には、この橋を断ち、籠城することができるということだろうか。本丸跡は何もない。天守台へ登る。高いところから、今まで歩いた城跡公園を見渡す。木々が多く、城内の建物はよく見えない。市内は近現代のビルが多く並ぶが、ここだけは昔のままだとわかる。堀の向こうに、横長の屋根とその下に人が集まる。ことでん(琴電)高松築港駅が見える。駅が城のすぐ近くにあることを改めて実感。