尾陽神社で感じる徳川の歴史。
尾陽神社の特徴
徳川家ゆかりの神社で、歴史深い由緒ある場所です。
明治44年創設で、名古屋開府300年を記念した特別な神社です。
龍神様と天照大神を祀り、葵の家紋が至る所に見られます。
30年程前からの御縁で、節目の時や何かある時には、由緒ある尾陽神社様にお参りに伺っています。宮司様をはじめ皆さんのご対応が気持ちが良いため、毎年お正月も、こちらに伺い1年の無事を祈願させていただいています。神社内はいつも清掃がいきとどいており、気持ちよく過ごす事ができます。また先日知人から人形供養の相談を受けたので、こちらを紹介したところ、好感の持てる丁寧な対応だったと、とても喜んで頂けました。おすすめです!
■徳川家ゆかりの神社城址にして尾張名古屋の開府にゆかりある徳川家を祀ってある神社です。徳川家の紋があしらわれた馬や装飾品、城址に想いを馳せ、徳川家と名古屋の歴史を感じました。参拝ありがとうございました。
御器所八幡宮の参拝を兼ねて参拝。階段を登り鳥居を潜ると本堂の前にある徳川家の家紋の馬の像がとても印象的な神社。参拝途中、猫に遭遇。神様の化身でしょうか。猫ものんびりして気持ちがいい神社なのでしょうね。住宅地の中なのにとても静かで気持ちがいい場所でした。また訪れたい神社です。
明治44年に御器所西城跡に尾張藩士の請願により尾張開府300年事業に合わせて創建されたとの事です。初代藩主徳川義直公と最後の藩主徳川慶勝公が祀られています。また徳川栄世稲荷神社と久延彦神社が摂社として祀られています。久延彦神社の社殿は200年前の春日大社の本殿として使われていたものだそうです。
尾張徳川家の藩主のうち一部の方の御霊を名古屋東照宮から遷してお祀りする神社。閑静な住宅地に静かに佇む。
静かで綺麗な神社です。徳川家にゆかりのある神社で明治時代に建てられたそうです。春には綺麗に桜が咲き日の丸が掲揚されており、日本の伝統を感じることができます。
白龍様を訪ねて、尾陽神社を参拝させて頂きました。白龍様の社には秋の訪れが感じられまた社に存在されている神様で知恵、学問の神様にもご挨拶をさせて頂きましたが、うーん、猿田彦様との違いは?彦様この繋がりや経緯は?なんだろ〜?と不思議な感じがしましたがやはり、神様の御名前ではなくエネルギーそのものを感じて視た方が、分かり易いなーと感じこれ以上、深堀りすることは辞めました。また何かご縁があれば自然と訪れますように!広大な丘に社が存在していること合わせて歴史を感じられることお時間があれば訪ねてみてくださいね!狛犬(獅子)のお姿はかなり立派ですよその大きさもさることながら頼もしく感じます☺️
天池商店街もすっかり寂しくなった。40年前この神社の前のアパートで暮らした。ここは変わらない。
築60年の実家を解体する際に、解体清祓をお願いしました。遠い所まで来て頂いて、丁寧にお清めとお祓いをして頂けました。親や兄弟の思い出が沢山あり、寂しい気持ちを引きずっていましたが、長年暮らす事ができた実家に対して感謝の気持ちで区切りをつける事ができました。家族全員、尾陽神社の皆様に大変感謝しております。
| 名前 |
尾陽神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
052-872-4851 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
〒466-0051 愛知県名古屋市昭和区御器所2丁目9−19 |
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尾張徳川家!2023年7月下旬に参拝しました。駒札によると————————————————-尾陽神社と御器所西城跡尾張藩祖徳川義直と十四代慶騰を祀る神で、明治43年(1910年)名古屋開府三百年を記念して創建され、大正11年(1922年)当地に遷座した。この地は、御器所西城跡で、築域年など不明な点も多いが、十五世紀中頃にこの地を支配していた佐久間氏(一説には佐久間美作守)によって築かれたといわれている。佐久間氏の中には、信長の父・信秀の代から織田家に仕えていた者もいた。名古屋市教育委員会————————————————社殿は太平洋戦争による空襲で焼失し、昭和45年(1970年)に再建されたものこちらの前に御器所八幡宮を参拝したのですが、御器所八幡宮はこちらより境内は小さいのですが境内社が多く密集した感じですが、こちらは対照的に境内は広々としています。また戦国時代にはお城があったのですが、確かに高台にあるので頷けます。