田篭諏訪神社の驚きと安らぎ。
田篭諏訪神社の特徴
うきは市の山奥に位置する、神秘的な場所です。
立派な建物に驚かされる素晴らしい神社です。
Googleマップにも追加された、訪れる価値のある神社です。
【御祭神】建御名方神(たけみなかたのかみ)【境内神社】天照皇大神、日枝神社(大山咋神)、山神社(大山積神)、天満神社(菅原道真公)、白峯神社(崇德天皇)。
うきは市の山奥にある神社です。
とても素晴らしい神社です。田篭のパワースポットです。毎年粥占いも行っているそうです。
田篭諏訪神社は、JRうきは駅の南東9.5kmほどの浮羽町田篭(旧浮羽郡姫治村大字田籠字馬場)の県道105号線(朝田日田線)沿いの集落の中に鎮座している神社です。旧社格は村社です。鎌倉幕府初代将軍 源頼朝の家臣の長谷部信連が承元元年(1207年)に信濃国(長野県)の諏訪神社から勧請して創建されました。平成19年(2007年)には創建三百年祭の記念事業で、神殿拝殿の改修、石祠・灯籠・記念碑の補修、社務所・宝物庫の瓦吹き替えなどが行われました。西側(県道側)の鳥居は、昭和12年(1937年)の建立で、社殿正面の南側(新川沿い)にも鳥居が建立されています。境内の西側にはかつて公民館として使用されていたような社務所のような建物もあります。東側には蔵のような宝物庫もあります。毎年1月15日には、諏訪信仰の総本社、長野県の諏訪大社でも行われている「粥占い」が行われることで有名です。「粥占い」は、粥に生えたカビの色やその生え方で、その年の農作物の出来を占う伝統行事です。宮司(あるいは氏子総代)みずから3合3勺の「粥」を炊き、それを陶製の皿に盛り、筑前・筑後・豊前・前後の4区に区分して御粥箱に入れ、神殿に納めておきます。そして2月の卯の日(現在は3月20日)に「お粥開き」を行い、カビの生え方や、色の付き方などによってその年の吉凶を占います。天明2年(1782年)から現在まで書き続けられている記録には、粥面の絵を描き、まず占いを簡単に書き、年末にその年の実況を記入するようになっています。この「粥占い」の記録と御粥箱は、県指定文化財にもなっています。神社のある「田篭(たごもり)」という地名は、かつてあった筑後久留米藩の生葉郡(いくはぐん)田籠村に由来します。明治22年(1889年)小塩村、新川村、田籠村、妹川村が合併して姫治(ひめはる)村が発足しました。明治29年(1896年)浮羽郡(うきはぐん)姫治村となりました。昭和26年(1951年)御幸町が姫治村・山春村・大石村を編入のうえ改称して浮羽町となりました。平成17年(2005年)浮羽町と吉井町が合併し、うきは市が発足しました。諏訪神社(すわじんじゃ)は、全国に約25,000社あり、長野県の諏訪湖近くの諏訪大社を総本社とします。また、諏訪神社を中心とする神道の信仰を諏訪信仰といい、日本全国に広まっています。御祭神は「諏訪大明神」ともいわれる建御名方神(たけみなかたのかみ:出雲の大国主神の第二子)とその妃・八坂刀売神(やさかとめのかみ)で、諏訪大社より御祭神を勧請する際には薙鎌に神霊が移され、各神社ではこれを神体としています。また、中世には狩猟神事を執り行っていたことから、狩猟、漁業を守護する神社としても崇拝を受け、「山神」としての性格を表しています。諏訪大社では6年に一度、御柱(おんばしら)と呼ばれる4本の柱を立てる「御柱祭」が行われますが、同様の祭が行われる諏訪神社が多くなっています。『諏訪』という名前は、諏訪明神が大荒神となって天下を悩ませている「蝦蟆(蛙)神」を退治して、四海が静謐となりました。このことから「波しずか」とも読める「陬波(すわ)」という名を得たといいます。
とても立派な神社で驚きました。駐車場には周辺マップや諏訪神社の説明も用意してあり、しっかりと管理されているようでした。粥占いなども実施されているようなので、いつか見に行きたいです。
田篭諏訪神社をgooglemapの地図に追加したものです。長野県の諏訪神社の総本社で行われる粥占いがここでも行われており、福岡県指定文化財となっています。創建・再興には、大友氏家臣の豊後国日田郡津江山の長谷部氏や、このうきは市田篭地区、隣の日田市前津江町柚木地区に関係の深い江藤家の先祖達が関わっています。大分県日田市前津江町柚木本村地区には、諏訪神社再興の為の浄財で貢献した江藤家の歴史についての石碑が置かれている江藤家先祖之碑があります。江藤家先祖之碑の場所も地図に追加しておきました。
| 名前 |
田篭諏訪神社 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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とても居心地よ良い空間です。