歴史感じる弾正丸跡探訪。
名護屋城 弾正丸跡の特徴
歴史を感じられる名護屋城の弾正丸跡で、秀吉の思いが伝わります。
本丸や馬場跡の全景が見れる、貴重な歴史スポットです。
浅野長政に関連する持ち曲輪も訪れる価値があります。
弾正丸には搦手口があり、搦手口は綺麗に残っている。
弾正丸跡。きれいに整備されています。
歴史を感じられる場所です。
秀吉の思いが伝わります。
浅野長政の持ち曲輪。
本丸、馬場跡の全景が見れます。また目線を変えると玄海原発も遠くに見えますよ。
| 名前 |
名護屋城 弾正丸跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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弾正(だんじょう)とは、浅野弾正少弼長政のこと。長政は寧々の妹を正室に迎えていたため、秀吉の義弟にあたります。この曲輪に、浅野長政の居館が在りました。言うなれば、「浅野長政陣跡」ですかね。とはいえ、長政はここに常駐していたわけではなく(渡海したのは子の幸長です)、戦時中の国内対応を任されていたため、名護屋と伏見とを行き来していたと言います。現在では五奉行の筆頭格とされていますが、元々は四奉行だったのに、死に間際の秀吉が秀頼を支える体制を整えるため、縁戚の長政を加えたとする説があります。なお、浅野長政と朝鮮出兵については、以下のようなエピソードが伝えられています。秀吉が文禄の役で自ら朝鮮に渡ると言い出した際、三成は「直ちに殿下(秀吉)のための舟を造ります」と述べたが、長吉は「殿下は昔と随分変わられましたな。きっと古狐が殿下にとりついたのでしょう」とも述べた。秀吉は激怒して刀を抜いたが、長吉は平然と「私の首など何十回刎ねても、天下にどれほどのことがありましょう。そもそも朝鮮出兵により、朝鮮8道・日本60余州が困窮の極みとなり、親、兄弟、夫、子を失い、嘆き哀しむ声に満ちております。ここで殿下が(大軍を率いて)渡海すれば、領国は荒野となり、盗賊が蔓延り、世は乱れましょう。故に、御自らの御渡海はお辞めください」と諫言したという(『常山紀談』)。