歴史が息づく祇園橋。
祇園橋の特徴
1832年に架けられた石造桁橋で、国の重要文化財です。
島原の乱の記憶を留める貴重な歴史遺構です。
周辺の長閑な雰囲気が魅力的ですが、現在は渡れません。
かなり老朽化しているので、渡る事は出来ませんが、雰囲気のある所です。
看板が出てたので左側の道沿いに行ったら道が細くなり、途中で車入れず止めました(川が右)写真を撮っただけ。右側の川沿いに行きましょう(川が左)橋はかなり古かったです。
2024.12.29うちの奥さん作成の旅のしおりでは、本渡諏訪神社から徒歩6分の距離にある祇園橋を訪ねる事になってて…申し訳ないけど、本渡諏訪神社の駐車場に車を停めさせてもらい、テクテク。ありましたよ。祇園橋。国宝や重文(重要文化財)は、大好物の夫婦ですので、目にすると、やはり興奮気味になります。200年前に架けられた石造り(しかも石桁)なんて、見事過ぎます。どうしても風化してる跡はありますが、重文に指定されたなら、大丈夫。保護していただけると思います。天草・島原の乱の時、ここで死闘が繰り広げられ、殉教200年で架けられた祇園橋。またその200年後に、ここに訪れたのも感じるものがありますね。橋の名前の由来となった祇園社(八坂神社)へ参拝し、そこからの橋の姿もよい景色でした。
1832年に架設された石造(地元の砂岩)の桁橋で、国の重要文化財に指定されています。石造としては日本最大級(長さ28.6m幅3.3m)、45脚の石柱で支えられていますが、老朽化のため渡ることはできません。
近くに無料の駐車場があります橋は本当に崩れそうで、趣がありました。付近を散策してみましたが、人が少なくお店も開いていませんでした.夜になるとあくのかな。
国の重要文化財に指定されている国内最大級の石造桁橋。全国的にもまれな多脚式で、天草地区の良質な石素材を使用された石橋です。祇園橋自体は江戸時代後期に架けられたものですが、石橋の下の架台の石は、島原・天草の乱当時と変わらないと言われているそうです。寛永14年に、この近隣でキリシタン軍と唐津藩の軍勢との死闘が繰り広げられ、哀しい内戦の歴史が刻み込まれた祇園橋…多くの事を考えさせられる祇園橋は、現代も尚、その姿を見る事ができる貴重な重要文化財です。
令和5年12月。改修を待つ祇園橋。以下天草宝島観光協会のサイトから引用。「石造桁橋では国内最大級、しかも全国的にもまれな「多脚式」で、『国の重要文化財』に指定されている。柱状の石を組み合わせた素朴なつくりで、橋脚は水切りのための三角形の流線型になっている。長さ28.6m、幅3.3m近くもある橋間に、約30㎝の角柱が5列9行45脚によって支えられている。 建造年代は天保3年(1832)時の庄屋大谷健之助が発起して、地元銀主を始め、庶民の協力によって、切支丹殉教戦二百年祭を目途に着工し完成。石材は下浦産で石工も同じく下浦の石屋辰右衛門。」
いつも行こう行こうと思いながら来ることがなかった。島原の一揆ではこの橋で一揆と富岡城番代三宅藤兵衛の唐津軍が激突した古戦場である。実際に目にすると、意外に小さな橋に思えた。今は橋自体が強度不足で実際に橋を渡ることはできないが、天草四郎を訪ねる旅もようやくここまで来たかの感はある。四郎らが闘った相手は明智光秀の血をひく三宅藤兵衛であった。町山口川は両軍の死者の血で赤く染まったという。複雑な思いがいつまでも心の中に残り続けていた。
祇園橋は、国指定重要文化財です。祇園橋の名前の由来は、衹園神社の前にあることからのようです。この橋は、多脚式アーチ型石橋(桁梁円弧型多脚柱付大石橋)で、立派さの中に上品さを兼ね備えています。長さは28.6m、幅が3.3m近くもある橋間に、がっちりとした5列9行の角柱45脚で支え、その姿は優美で力強いです。全国的に見ても最大の石橋となり、中国や韓国を含めてみても大きな存在感を示す見事な石橋です。建造年代は天保3(1832)年で、時の庄屋大谷健之助が発起して、地元銀主を始め、庶民の協力しあい、完成させました。石材は下浦産で石工も同じく下浦の石屋辰右衛門です。しげしげと橋を見ていると200年近くも橋が存在できる石工技術の高さに惚れ込んでしまいます。なお大人の事情により、今では橋への立ち入りが禁止されています。さらにこの橋のある付近は、寛永14年(1637年)11月、天草の乱で天草四郎の率いる宗徒軍と、富岡城番代三宅藤兵衛の唐津軍とが激突した場所です。両軍の戦死者により川の流れは血に染まり、屍は山を築いたと伝えられています。
| 名前 |
祇園橋 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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風情ある大きな石橋で、通潤橋や長崎の眼鏡橋ともまた違う凄みを感じます。街中に溶け込みつつも、江戸時代のままの状態で佇む厳かな雰囲気です。新聞に2026年度から5年計画で保存修理すると載っていました。5年後には渡れるかもしれません!