片倉景綱公の銅像、存在感抜群!
片倉小十郎景綱公の銅像の特徴
傑山寺に鎮座する片倉景綱公の銅像が見どころです。
歴史を語る片倉家の魅力を感じる場所となっています。
銅像を通じて片倉景綱の偉業を学べる特別なスポットです。
傑山寺にある片倉景綱公の銅像。壮年期の凛々しい姿でカッコイイ。奥にはお墓もあるので、是非お参りを。墓石でなく一本杉ってのがまたイイ。お墓のすぐ下右側には殉死した家臣の墓標もあるので、是非一緒に。他に片倉家、仙台松前家の墓所も有り。お寺の駐車場は広いです。
片倉家菩提寺、傑山寺に存在感示してます。
| 名前 |
片倉小十郎景綱公の銅像 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0224-25-9258 |
| HP | |
| 評価 |
4.6 |
| 住所 |
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(片倉景綱とは本当はどのような人物でどのようなことをした人物ですか?また、彼の最期はどのような最期だったのか?史実とは?)片倉景綱は、伊達政宗の幼少期から生涯にわたり側近として軍師的役割に行政手腕で伊達家を支え抜いた伝説的な名参謀です。豊臣秀吉や徳川家康からもその才能を高く評価されていました。片倉景綱の生涯と実績、そして彼の最期に関する詳細は以下の通りです。(どのような人物で何をしたか?)⦿伊達家の存続に貢献(小田原征伐):豊臣秀吉による小田原征伐の際、遅参しようとした政宗を説得し、秀吉への恭順と伊達家存続の道を開きました。⦿智と武の卓越した補佐:軍師として伊達家の頭脳となりつつも自らも武勇に優れていました。⦿『人取橋の戦い』などの絶望的な局面では、政宗の身代わりとなって敵を引き付け、主君の命を救ったとされています。⦿白石城主:伊達家の領土南限の要衝である白石城(現在の宮城県白石市)の城主を務め、領国の経営や外交に手腕を発揮しました。(史実と伝説)(創作)⦿景綱には有名な逸話が多く残っていますが、中には後世の創作や脚色が混ざった『伝説』も含まれます。⦿眼球えぐり取った伝説(創作・脚色)政宗が天然痘にかかった際、膿んで飛び出した右目を誰が切るか恐れる中で、景綱が小刀でえぐり取ったという凄惨なエピソードが知られています。しかし、これは江戸時代の軍記物に記されたものであり実際の史実ではないとされています。⦿鉄の棒で腹を焼いた説政宗の腹の腫物を治すため、景綱が自分の太ももを熱した鉄棒で刺して安全性を確かめてから政宗の治療をしたという逸話も創作の可能性が高いとされています。(最期について)⦿病による最期:晩年に病に伏せることが多く、1614年に起きた大坂冬の陣には息子の片倉重綱を代理として出陣させました。⦿元和元年の死没:大坂の陣が終結した翌年の元年元年(1615年)10月14日に引き取りました。享年59。⦿政宗の深い悲しみ:景綱の死を聞いた政宗は3日間食事もとらず、誰とも会わずに号泣したと伝わっています。政宗は愛馬を下賜し、葬列に加わらせました。また、六名の家臣が殉死し、彼の高い人望がうかがえます。