葛城の水分神社で清き水を。
葛木水分神社の特徴
奈良時代から続く由緒ある神社で、祈雨の神を祀っています。
大和国にある四つの水分神社の一つ、特に名神大社として知られています。
水がとても綺麗で、静かな雰囲気の中で心を整えることができます。
駐車場はないので旧道の大きなRの脇に少しだけ停めさせていただきました。そこから道を道路沿いに上がって戻る感じ・・になるのでしょうか? 古いですが立派な神社だと思います。
奈良時代に大和 葛城山系の水神を祀った由緒ある神社です。現在は、無人ですが、境内は、綺麗にされています。
金剛山、葛城山の灌漑用水を司る神(水分神)を祀っている神社。江戸時代の元禄年間に大坂側の住民と水論となった。京都所司代による裁定の結果、大和側の勝訴となった。境内にはそれを祝して住民が寄進したと思われる灯篭が建っている。
地元の方が日々訪れる神社⛩でしょう。とにかく水の音が気持ち良い!祈りの滝からの水が流れてとても美しい。田んぼも周りに多くあり、この水が流れているのなら美味しいお米🌾に違いない!
かつらぎみくまり神社。金剛山、葛城山の灌漑用水を司る神(水分神)を祀っている神社で、延喜式内社であり、創建年代は不詳のようですが、840年には、こちらの神社に関する記載があるようで、とても歴史のある神社です。御所市側の水越峠の入口付近にあり、神社に通じる道には、神社に関する説明板(経年劣化の為、字があまり読めない)があります。山麓にあり、人通りもなく寂しい感じがしますが、静かで、素朴な感じに癒されます。御所市から水越峠へは通行禁止(軽いバリケードがあります)のようですが、神社付近へは通行が可能でした。神社入口を少し過ぎた辺りに車一台の駐車は可能でした。短時間なら大丈夫だと思いますが、路駐になりますので、参拝に伺われる方はご注意下さい。
大和の四つの水分神社を回りましたが、なぜかこの葛木の水分神社だけが淋しいことになっています。周囲に式内社が多いので目立たないのでしょうか。薄暗くなった境内で神様の嘆きが聞こえるようでした。参道に沿ってきれいな沢水が流れています。これはきっと太古のまま。
「葛城(葛木)の道/万葉の道」十四の三の十三 御所市大字関屋葛木水分神社(かつらぎみくまりじんじゃ)奈良大和にはおおよそ東西南北に祀られた四水分神社があります。大和国水分四社、都祁・宇陀・吉野・葛城がそれにあたると言われています(宇陀は三社あり、そのうちの一社しか画像がありません)。そのいずれもが、神々しいと一口では表現できないくらいの威厳を持ち合わせています。その中に身を置くと、凛とした空気の中で強いパワーがもらえるような気がします。私的には、冬の「吉野水分神社」が一番気に入っています(3月14日に粉雪がゆっくりと時間を止めるように本殿前に降りしきる時がありました。もう何とも言えない感情があふれ出したのを記憶しております)こちらは、苔の世界で囲まれた感じで重厚で静寂を味わえる社です。
水がとても綺麗でした。緑が豊な神社です。
大和国四所水分神社のひとつ奈良県にある4つの水分神社宇太水分神社、葛木水分神社、吉野水分神社、都祁水分神社。
| 名前 |
葛木水分神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-nara/jsearch3nara.php?jinjya=5828 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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周辺のオススメ
葛木水分神社(かつらぎみくまりじんじゃ)。奈良県御所市関屋。式内社(名神大)、旧村社。主祭神:天水分神(あまのみくまりのかみ) 国水分神(くにのみくまりのかみ)。『延喜式』神名帳での祭神は1座。「水分」は「水配」の意で、祭神は金剛山・葛城山の灌漑用水を司る神(水分神)になる。資料によると、『延喜式』祈年祭祝詞では、吉野水分神社・宇太水分神社・都祁水分神社とともに大和国の水分四社の1つとして数えられているが、特に当社のみは名神大社に列している。山城国に水分神社は見えず、水分四社は大和の主要な水系に位置することから、平安京遷都以前の時代に朝廷の政治的意図によって配されたと考えられている。なお葛城・金剛山系の反対側には、河内国の水分神として建水分神社(大阪府南河内郡千早赤阪村)が鎮座する。河内側との間に水利を巡る境界論争が絶えなかったが、元禄15年(1702年)12月20日に、正式に大和側の勝利となった。これを例祭日としている。御所市(ごせし)は、奈良県の中部に位置する市。市名の由来は、当地に勢力を持っていた巨勢氏の「こせ」が転じた説や、当地にある三室山の「三室」が「御室」、「御諸」、「御所」と転じたとする説、市内を流れる葛城川に5つの瀬があったとする説、孝昭天皇の「御諸」が「御所」に変わったとする説が挙げられている。古代の大和国葛上郡の地で、古瀬付近は高市郡巨瀬郷に属した。鴨都波神社、一言主神社、名柄神社、高鴨神社、葛木御歳神社など数多くの延喜式内社を残し、室大墓をはじめ古代遺跡も豊富。古代豪族葛城氏の本拠地であり、近年も2004年に極楽寺ヒビキ遺跡が、2009年には秋津遺跡が発見された。現在は、奈良県内で一番人口が少ない市である(神名帳の名神大社から、近代社格の村社への変遷)。とあります。