水神宮で神秘なひととき。
水神宮の特徴
稲豊橋の下に位置する神様の神社です。
橋のたもとにある小さな神社です。
取手市市之代の静かな場所に鎮座しています。
水神宮(すいじんぐう)は水の神を祀る神社です。左面に日付が有ります。寛政九巳正月(1797年)は読めますが、その下に「〇日」と刻まれていた様で、「日」の一部と思われる部分が有ります。右面には祀った人の記述が有ります。市ノ〇村船頭二人狸渕村市ノ〇村の〇は「臺」との事。(*1)「臺」は現在「台」と書かれることが多い様ですが、本来「台」とは別の意味が有る様です。現在、取手市側には「市之代」、つくばみらい市側には、「狸渕」の地名が有ります。背面は凸凹で、文字は有りません。稲豊橋の出来る前、この場所には渡し船が有った可能性が推察される(*1)との事で、そうであれば船の運航の安全を祈願して祀られたと推定出来ます。(*1)取手市埋蔵文化財センターによる尚、現在の場所(稲豊橋下流)は、2022年半ば頃まで行われていた稲豊橋橋脚耐震補強工事の際移設されたものです。
小貝川は白鳳時代頃まで「子飼い川」「蚕飼い川」と書かれていたようだ。その昔、小貝川では鮭が多く獲れ、それを塩鮭にしていたようである。平安鎌倉期には相馬御厨よりの貢納物として「塩鮭百匹」の記述が残る。鹿島地方にて塩が大量に生産され、小貝川の水運を利用して盛んに運搬されたようで、市之台に荷上げされたり、守谷城の舟着場にも運ばれたと伝えられる。市之台の地名の由来として、ここに魚河岸のようなものがあり、また交通の要衝でもあったことで、定期的に市が立ったのではないか。将門が討死した直後に将門の次女春姫は市之台に隠れていたらしい。春姫が鷲野谷染谷家と血縁があった可能性も考えられることから、市之台は古墳時代には群馬より利根川下流域に鉄製馬具の製造技術を伝えた染谷氏が支配していたと思われる。取手市の中妻貝塚で発掘された人骨はバイカル湖畔にいたブリヤート人と遺伝的に最も近いことが判明した。ブリヤート人がバイカル湖周辺から日本列島へ渡来してきた動機は、サケ・マス漁撈の発達による新たな漁場の追求であったらしい。>12000~13000年前に東日本を覆った、クサビ型細石核と荒屋型彫器を伴った、細石刃文化を担った人類集団の技術伝統は、バイカル湖周辺から拡散してきたものである。>日本におけるクサビ形細石器文化圏と、サケ・マス類の主要遡上河川の分布域とはよく一致している。(岩波新書 加藤晋平著「日本人はどこから来たか」171ページ)詳しくは「日本人バイカル湖畔起源説」にて検索。
橋のたもとの小さな神社。
| 名前 |
水神宮 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
2.6 |
| 住所 |
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ちょうど稲豊橋の下に鎮座している神様です。歩きじゃないと気が付かないかもしれませんね。