徳川家の歴史を感じる武闘派の家。
八王子千人同心組頭の家の特徴
1800年代に建てられた穀倉で歴史を感じさせます。
徳川家の家臣団の生活様式がうかがえる間取りや家具です。
江戸東京たても園の西ゾーンに復元建物展示もございます。
武闘派の家ですいつでも整ってます。
2023.12江戸時代後期に八王子市追分町に建てられた。八王子市千人同心は江戸幕府の職の1つで、八王子に配備された譜代旗本やその配下の譜代武士を指す。戦が起これば参戦し、日光で勤務したり、甲州街道・日光街道の整備、蝦夷地警護と開拓、八王子近郊の治安維持など職務は多岐に渡った。
八王子千人同心組頭の家。
八王子にあったこの穀倉は、1800年代に建てられたものと伝えられています。現在内部は3部屋になっていますが、もともとは柱ごとに仕切りがあり、小部屋3室、大部屋2室の計5室に分かれていました。穀物の出し入れは前面の落とし板を外して行い、閉める時は下の板から順に落とし、最上段の横木に錠をかけるようになっています。穀倉には米の他に、麦、あわ、ひえ、豆などを貯蔵し、俵にして30俵分の収納ができたそうです。小部屋の3室には、雑穀を俵に入れないまま貯蔵していました。旧所在地は八王子市館町です。
武田家の遺臣を取り込んで小仏峠方面を抑える。
組頭の家、と聞くといわゆる仁義とかあの世界なのかと思いましたが、徳川家康の配下の郷土集団だったとかで、簡素ながらも丁寧な生活をしていたことがうかがえる間取りや家具でした。式台つきの玄関など、さりげなく格式は高いです。
いろりや釜に火を入れて雰囲気を作っておられました。
山のおババが住んでいた家に似ているからか、大変いついちゃいたい気持ちになります。
八王子千人同心は、江戸時代、八王子に配備された徳川家の家臣団です。 拝領屋敷地の組頭の家は、周辺の農家と比べると広くありませんが、 式台付きの玄関などは、格式の高さを示しています。HP引用中に入ろうとしたらボランティアの方が急に現れ「こんにちは~」とお化け屋敷以来のビックリでした。
| 名前 |
八王子千人同心組頭の家 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 9:30~16:30 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
2024年10月訪問。案内板に「八王子千人同心は、八王子で甲斐との国境を警備するために配備された武士団である。関ヶ原の戦いの頃には1000人ほどの規模であったため、その名がつけられた。武士とはいえ、平常は農耕を営む半農半士のきわめて特異な形態であった。1893年(明治26)に日野の大火で家を焼失した溝呂木家が、八王子にあった千人同心の子孫である塩野家から建物を買い取り、その部材を転用して日野市に農家を建てた。塩野家は千人同心の組頭を務めた家柄で、先祖には『桑都日記』の著者として有名な塩野適斎がいる。この建物は、溝呂木家の各部材に残る痕跡の調査から、江戸時代末期の千人同心の住んでいた頃に復元した。」と書かれている。