天石門別で感じる卑弥呼の神秘。
八倉比賣神社 磐座の特徴
八倉比売神社の奥の院には、阿波青石の美しい五角形の磐座があります。
天照皇大神の墓とされる神聖な場所、卑弥呼の祭壇が佇んでいます。
清浄な空気を感じながら、小宇宙を体験できる独特の空間です。
阿波邪馬台国伝説の中で卑弥呼の墓と言われている場所です。祭神が大日孁貴、つまり、天照大御神です。天照大御神と卑弥呼は同一視されています。五角形の石積ですが、ここより約40kmほど西にあり、日ユ同祖論の囁かれる磐境神明神社と同じような作り方だと思いました。日本とユダヤはやはり親戚関係にあるのかも知れません。
八倉比売神社の右手裏から登り5分程度です 石積の上に置かれています It's about a 5-minute climb from the back right of Yakurahime Shrine.
神社の拝殿の奥に進むと、小さい祠があり、それを更に進むと、五角形の祭壇(磐座)が見えてきます。八倉比売大神御本記の古文書はご祭神である大日霊女命(天照大神)の葬儀執行の詳細な記録であることから、天照大神=卑弥呼であるとし、奥の院の祭壇を卑弥呼の墓であると見立てた「邪馬台国阿波説」なるものまであるといわれている説もあるそうです。パワースポットとしても有名だそうで、何か神秘的な雰囲気が漂っていました。
八倉比売神社の社殿から少し上った所に奥の院で、阿波青石でできた五角形の磐座です。前方後円墳の円墳部分となっており、社殿が方墳部分となります。祭壇上にはしめ縄がかけられた祠が置かれ、社殿横の略記板によると、砂岩の「鶏石」「鶴石」を組み合わせた「つるぎ石」が奉られており、永遠の命を象徴するとのことです。邪馬台国四国説というのがあり、その説では「天照大神」=「卑弥呼」としており、この五角形の祭壇が「卑弥呼」の墓とされているようです。真偽はともかく、このような不思議な祭壇を見ると古代のロマンが感じられます。
天照大神の葬儀の詳細が残されている神社です。天照大神がこの地で亡くなり大国主命が葬儀を取り行ったと記されています。杉尾山は古代からとても神聖な山とされ、山全体が御神体です。標高116㍍の丘尾切断型の柄鏡状に前方部が長く伸びた古墳で、後円部の頂上に本殿,拝殿と奥ノ院があります。拝殿の裏にある階段を登っていくと五角形の青石で造られた祭壇があり、それが"卑弥呼の墓"だと言われています。天照大神の葬儀の記録があり、これが"卑弥呼の墓"だとするなら、天照大神と卑弥呼は同一人物とな…ん?…とすると…ここら一帯が邪馬台国?🤔…九州説が?…まてよ、魏志倭人伝に"卑弥呼は約30の国からなる倭国の都として邪馬台国の女王で云々"とある。私たちは範囲をせまく考えすぎているのでは…ここ徳島を中心に、九州や奈良から北陸あたりまでを邪馬台国としてもよいのでは…ないか…と。邪馬台国も卑弥呼も本当のところは何も分かっていない。魏志倭人伝に記された邪馬台国女王"卑弥呼"の墓は"径百余歩"とあり、ここの周囲を囲んでいる参道はおよそ350㍍で内側直径が単純計算で175㍍。内側の古墳の直径がおよそ165㍍で、魏志倭人伝が書かれた時代の1里が400~500㍍なので、1歩がその300分の1で約1.4~1.7㍍。径百余歩(104~107歩)105歩と考えて1.6㍍Ⅹ105歩=168㍍で一致しています。五角形の祭壇の上の祠には、"つるぎ石"永遠の命の象徴が祀られています。テレビ局がレーダーで五角形磐座の下を非破壊検査をしたことがあります。地下に大きな空間があることが分かりましたが、許可が下りないため掘ることはできません。御神体は杉尾山と五角形古墳。美しい自然に囲まれた由緒正しい神社です。階段をかなり歩きます。虫除けと水筒は必ず用意して登って下さい。
拝殿の右手を上ると磐座にたどり着けます。五角形の石積の上に祠がありました。拝殿右手に略記が書かれています。
天照皇大神の墓ですが卑弥呼と言われていますのは、弥生時代の交易中に中国の使節団がこの気延山の天照皇大神の大神殿に来まして天照大神のシャーマンとしての御祈祷状態を見ましたので、のちの魏志倭人伝に卑弥呼と書かれました。元々、大神殿は大泉神社の下にありましたが1773年にここにもって来られました、突貫工事だったので、ここにありました杉尾神社を倒して建て替えたのです、ですのでこの神社は彫刻一つない神社なのです。天照皇大神は大泉神社の下の大神殿で亡くなりまして、この気延山頂上に八百万の神々に看取られて運ばれました、頂上にはすでにこの五角形の墓は作られていましたから、天照大神は遺言とうり鳥葬となりました、その墓を1773年にここに下ろして来たのです、勿論、一つ一つの石を組み直しています。では、この土地の元々の持ち主神は誰か?をしって参拝すれば神も喜びますが、最近は誰も元神を参拝しませんので困りものです、ここは素戔嗚神の前方後円墳なのでして、みなさんが参拝しています所は、後円墳の上なのです。では何故に、突貫工事までして、ここに天照大神の墓と神殿を急いで持ってきたのか?これが分かりますと、全ての謎は解き明かされます、ここには、それをやらなければならない理由がありました。どうしても知りたい方のみ来て下さい、おしえます。徳島神の絆会 代表 谷勤(ボランティア、ガイドマン)
八倉比売神社裏手の、八倉比売一号墳という古墳の上に、五角形の石積みがあります。徳島藩主が広めた農業の神様『地神塚』の関係施設かと思いましたが、詳しいことはわかりません。地神塚は、五角形の台か柱で作られ、信仰の対象となってきました。
小宇宙を感じます。
| 名前 |
八倉比賣神社 磐座 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
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天石門別八倉比売神社でお参りし、その先にあるのが伝卑弥呼墓です。五角形の磐座で、ユダヤとの関係性まで気になり始めてしまう史跡でした。