浄土院の静けさ、心安らぐ。
浄土院の特徴
15世紀後半に栄久上人が開創した寺院です。
重要文化財養林庵書院が浄土院内に存在します。
本堂前の庭から鳳凰堂の背面を眺めることができます。
平等院にある浄土宗の塔頭寺院。鳳凰堂の丁度裏側に位置します。かつては境内に多くの塔頭が並んでいた平等院には現在2つの塔頭があり浄土院はその1つ。室町時代の明応年間に栄久上人が平等院修復のために建てたお寺だと言われており、阿弥陀如来立像などの文化財が納められています。
南門から入場すると、すぐに浄土院です。
浄土院は、平等院鳳凰堂の背後南寄りに建っています。開基は栄久上人により15世紀後半に建てられ、平等院の塔頭ニカ寺の一つで浄土宗の寺です。本堂、羅漢堂、大書院、養林庵書院からなっています。本堂には、阿弥陀去来が安置されています。
平等院のなかにある浄土宗の寺院で栄久上人が明応年間十五世紀後半に建てられたそうです。阿弥陀如来像や救世船乗観音などが見られます。
2023年4月1日に参拝しました。鳳凰堂の裏手(尾廊側)に位置し、平等院の2つある塔頭の1つです。平等院には、明治維新までは10弱の塔頭がありましたが、すべて廃寺となり、養林庵も浄土院に統合されています。境内の散策は自由にできますが、建物内の大書院(平等院山内で最も古い書院)や御座所(御醍醐天皇が滞在した場所)は、通年非公開のようです。参拝時は、羅漢堂前の桜が綺麗に咲いていました。
【浄土院】浄土原は平等にの塔事で、落士宗の栄久上人が、明応年間(十五世紀後半)に平等院修復の為に開創した寺と伝わり、「都名所図絵」には「平等院奥院」「浄閣」などと示されている。江戸時代には養林庵や知学庵など浄土院の子が鳳凰堂西南を中心に多数存した。浄土際には平等院に関係する多くの文化財が残されている。そのうち、養林庵書院(重要文化財)は桃山城の遺構と伝えられ、障壁画は、床の間の図が雪景山水図、襖は離に梅図、天袋は花井図で構成され、作者は、その作風から狩野山雪と考えられ、京狩野の代表的作家の特価を著した作品としていその価値は極めて高い。また京都府指定文化財として平等院修造勧進状一巻・平等院旧起二巻、細川三斎作庭と伝わる養林庵書院庭園があり、宇治市指定文化財として、木道南釈天立像(平安時代)、木造阿弥陀如来立像(鎌倉時代後期~南北朝時代)、和漢朗詠集巻下断簡(平等院切」(平安時代末期)がある。帝釈天立像は、やさしい着衣にやや重い感じを付加され、程よい量感のなかで、少年相の清純な感じの相貌や、浅く柔らかな衣歓表現に、十世紀来から十一世総前半にかけて活躍した、仏師康尚(定朝の師)の特色がはっきりと滲みでている。阿弥陀如来立像は、ヒノキ材を用いた寄木造りの堂々たる大作の像で、両手首先から台座を含めて当初のまま残っている。うつむきぎみの頭部、生々しい感触を持つ指先などに当代の特色がよく示されている。和漢郎詠集巻下断筒は巻下雑部のうち、禁中・古京の全文十五行文である。古来筆者を源頼政(一一〇五~一一八〇)と伝え、平等院切という名称も頼政との関係で付されたと思われる。本稿は平等院切の中でも、全十五行文の断簡として大きく、古筆研究はもとより、国文研究などの資料としても貴重である。大魯院 關香奈玉寶函獅子区また、古図によると平等山内で最も古い書として大喜院(非公開)があり、蘭香斎玉の獅子図四面や後醍謝天皇が三種の神器を納め平等院に返留したと伝えられる徴座所などが残されている。
平等院の塔頭の一つです。
11月4日土曜日盆栽や庭木を眺め、本堂にそっと手を合わせました。その背中には鳳凰堂の背面が…
2023年 6月20日平等院の鳳翔館から鳳凰堂の尾廊の後ろに行きますと浄土院がありました‼️平等院の塔頭、、、たっちゅう❗️なんですね 😊😊難しいです、、、意味合いが 😅😅静かな静かな空間と落ち着いた寺院でした ( ^ω^ )朝日山と書かれた扁額がありました‼️ご本尊は阿弥陀如来です (o^^o)障子戸の隙間から何か恐れ多くて中を覗くことができませんでした ( 後悔しています 😭 )手を合わせてお参りだけをしてきました ☺️☺️
| 名前 |
浄土院 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0774-21-3052 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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平等院鳳凰堂にばかり目が行ってしまったが、そういやここはお寺だった。