静寂の地で感じる若宮様の癒し。
大直禰子神社(若宮社)の特徴
奈良時代創建の古い神社で、静かな雰囲気を持っている。
大御輪寺の本堂を利用した独特な拝殿が魅力的である。
重要文化財の若宮様を祀り、訪問者に深い安らぎを与える。
明治の神仏分離前は、大御輪寺という大神神社の神宮寺でした。その寺号は鎌倉時代真言律宗の開祖、興聖菩薩にゆかりがあるようです。奈良時代作で国宝の、木心乾漆十一面観音菩薩立像がかつて安置さていましたが、神仏分離令で止む無く聖林寺に移されて、今に至っています。素晴らしい仏像がかつて安置されていたお堂の内陣には、調査で奈良時代の部材も含まれていることが判っているようです。仏像と同時期の材なんでしょうかね。
34度を超える暑い日でしたが、お詣りされている方は多いです。
静かな場所ですあまり参拝者もいませんでした。
三輪の大神様のご子孫の大直禰子命(若宮様)を祭る神社⛩️1日でおついたち参りで人が多い中、この神社は参拝客も少なく、とても清々しい気持ちになれました。
大直禰子(おおたたねこ)神社(若宮)元はここが聖林寺の国宝である十一面観音菩薩立像が安置されていた大神寺、後に大御輪寺のあったところだそうです。鳥居はあるものの見たときに敷地内の造りがなんとなくお寺さんみたいだなと思ったのはそういうことだったのかと思いました。
古事記出てくる大神神社のご祭神、大物主さまに使えた神職さま祭った神社⛩️お社はお寺そのもの、大神神社の神宮寺だそうです🙋♀️桜井市にある聖林寺、国宝の十一面観音さまがいらっしゃる。この十一面観音さまは以前、ここにおられたそうです。ほとんど参拝に来る人はなく、ひっそりとしてました。
社殿は神仏分離以前の神宮寺である大御輪寺の本堂であり、創建は奈良時代に遡る。神仏習合の時代には十一面観音立像が本尊として安置されていたが、神仏分離で大御輪寺が廃寺となった際に桜井市内の聖林寺に移された。この十一面観音像は国宝に指定されており、日本で随一の美しい姿であるとされる。聖林寺に新たに収蔵庫が建てられ、2022年8月より拝観可能となっている。
(おおたたねこ)神社と読む。これは普通読めない。何か近所にいそうなオバチャンの名前で普通は「太田種子」「大田多根子」と書く。さらに紛らわしいのが、古事記では男性であり、神(みわ)の君・鴨の君の祖であるとする。奈良時代には大神神社の神宮寺で「大神寺(おおみわでら)」として栄え、明治時代までは「大御輪寺(だいごりんじ)」と呼ばれ神仏分離により十一面観世音像は聖林寺に移され国宝に指定されている。本殿は大御輪寺の本殿だったところで創建当初の部材も残っており重要文化財に指定されている。古事記によると、大和の大物主神が活玉依姫(いくたまよりびめ)に毎夜通って産ませた子の子孫が河内の美努(みぬ)村の意富多多泥古(おほたたねこ)であった。その後、崇神天皇の御世、疫病が流行した時、天皇の夢に大物主神が現れ疫病は自分の仕業であり、自分の血を引くオオタタネコの手によって祭られれば収まると告げる。そこで探し出された彼を大物主神の祭主に据えるとたちまち疫病が収まり平安を取り戻したという。そのオオタタネコを祀る神社であり、疫病退散を願いぜひとも参拝したいところ。
緑の木々に囲まれた、お寺のような風情の神社。こちらも大神神社の摂社のひとつです。
| 名前 |
大直禰子神社(若宮社) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0744-42-6633 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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大直禰子・オオタタネコさん主祭神で若宮社とも。お社自体は落ち着き払った空間です。大直禰子さん。様々な当て字が後世、漢字でもって当てられ、当人は少々困惑気味ではと想像しますが、敢えて漢字を当てると、央・皇(おお) 奉つ(たた) 和く・祈ぐ(ねこ)「おお」=大物主・大三輪神「たた」=敬う・尊ぶ「ねこ」=添う・祈る となるようです。要するにタタネコさんとは、斎主・いわひぬし=三輪大神の斎を治める責任者ということですね。個人的に一番肚落ちする文献ホツマツタヱ。前半を五代大物主クシミカタマ・ワニヒコさんが、後半を当社主祭神オオタタネコ・スエトシさんが、編纂したと言われます。当社には、その編纂者お二人とも祭祀されていますので、ホツマツタヱファンにとっては、参拝しないわけにはいかない神社であり、聖地のひとつと言えるでしょう。スエトシさん(スクナヒコナさん、イクタマヨリ姫配祀)を中央に東側にワニヒコさん、向かい西側にワニヒコさん内宮のミラ姫が祀られます。ミラ姫=三代大物主コモリさんの13男オオタさんの娘9代開化天皇政権下で、ある道徳観念の衝突があり、中央から去ることを選び、皇統家と袂を分かった大物主家。その後、冷遇の憂き目に大阪・堺でひっそりと暮らしていたようです。時は10代崇神天皇の世、パンデミックが列島に襲いかかったといいます。国民の半分近くが絶えるという事態に。崇神さんは、八咫鏡をトヨスキ姫に、八重垣剣をヌナギ姫にそれぞれ笠縫と山辺の里に祭らせます。それでもパンデミックは収まらず、大物主家の子孫、オオタタネコさんとシイネツヒコさんの七世孫、シナガオイチさんを探し出し、それぞれを大神神社、大和神社の斎主に抜擢。これにより疫病は、鎮まったといいます。大直禰子命 → 大三輪神を祭祀市磯長尾市 → 大国魂神を祭祀オホナムチ → クシヒコ → コモリ →ツミハ → クシミカタマ → アタツクシネ →タケイイカツ → タケミカジリ → ミケヌシ →オミケヌシ → タケイイカタス → オオタタネコと系譜は続くようです。