天平の伝承に想いを馳せて。
七諏訪社 本社の特徴
天平時代に由来する由緒正しい神社であること、
7つの頭を持つ大蛇を祀る独特な歴史がある、
神社の歴史や伝説が魅力の参拝スポットである。
駐車場の隅っこにポツンと置かれています。歴史については他の方が述べているので割愛します。何故か駐車場整地の為に隅に置かれたような感じがします。謂われの書いた案内板も有りません。こういうのは逗子市で少しでもいいから管理保存して欲しいですね。かなり古い石祠ですね。どんどん風化して仕舞いそうです。
池子、沼間周辺の「七諏訪伝説」に由来する祠七ヶ所ある祠の本社駐車場脇の空き地にポツンと置かれている。周辺の開発により元々有った場所から移されたのでは無いだろうか。他の六社大銀杏下社西ケ谷戸社大谷戸社秋ヶ谷戸社谷の空社神武寺 車地蔵脇社。
池子、沼間周辺の「七諏訪伝説」に由来する祠七ヶ所ある祠の本社駐車場脇の空き地にポツンと置かれている。周辺の開発により元々有った場所から移されたのでは無いだろうか。他の六社大銀杏下社西ケ谷戸社大谷戸社秋ヶ谷戸社谷の空社神武寺 車地蔵脇社。
昔、7つの頭の大蛇がいて、その頭を祀る為に造られたものらしいです。7つあるはずなのですが、現在はこの一つしか見つかっておらず、残りの6つの場所は分かっていないそうです。
天平時代。沼間がまだ沼浜と呼ばれていた頃、沼地には恐ろしい大蛇の主が棲みつき、時々村中を荒らし廻っては人命を殺めることもあり村人たちは困っていた。たまたま行基が岩殿寺や神武寺などへ立ち寄っていたので、守護職の長尾左京大夫善応は大蛇の話をし退治方を懇請した。行基は十一面観音像を自ら彫刻し、これを小船に乗せて経文を唱えて祈祷をおこなった。大蛇が現れ舌を火焔のように吐きつつ、毒熱を放って人々の乗った船に迫ってきたが、観音の功徳で大蛇はついに力尽きて倒れたところで行基は大蛇を諭した。すると大蛇はその非を悔いて姿を消した。人々はこの大蛇を哀れみ、大蛇の棲んでいたこの池を埋め、大蛇には頭が七つあったので、頭一つずつ祀る七つの社が建立された・・・というのが伝承されている経緯です。この祠は残存するうちの1つ。残りの6つの所在は定かではありません。十一面観音像は法勝寺に祀られています。この祠の屋根の左右両端に特徴があり、まるで蛇の目のようにも見えます。昔はちゃんと真っ赤な朱塗りの鳥居があったのですが朽ちて消えてしまいました。クラウドファンディングしようかな(笑)
| 名前 |
七諏訪社 本社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
2.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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地域の伝承に想いを馳せ、先ほど榊を供えてきました。その伝承とは・・・時は奈良時代、天平のころ。現在の東逗子駅周辺は、背丈を超す葦が生い茂る広大な沼地で近寄る者とてない場所でした。そして恐ろしい事に、その沼の主として村人を食らう「七つ頭の大蛇」が棲み着いていました。人々は恐怖に震え、時の守護職・長尾左京太夫善応が対策を練るも、なす術がありませんでした。そこへ諸国を巡る一人の旅の僧(行基とも伝わります)が通りかかります。村人の苦しみを知った僧は、自ら十一面観音像を彫り、小舟に乗って沼の中心に向かい祈祷を始めました。連日にわたる祈祷の末、ついに嵐とともに巨大な大蛇が姿を現します。火のような舌を巻き上げ、毒気を吐いて襲いかかろうとする大蛇でしたが、観音様の功徳には抗えずついに力尽きました。僧が滔々と大蛇の非道を諭すと、大蛇は深く悔い改め、「これからは村の守り神になる」と約束して息絶えたました。善応は大蛇を憐れみ、その七つの頭を祀るために「七つの諏訪社」を建立しました。長い年月が流れその多くは散逸し、行方知れずになったものもありますが、ここ、本社の他に神武寺表参道の途中に一の祠、沼間二丁目の私有地に三の祠、東逗子駅近くの海宝院に六の祠後があります。明確な社名があった他の三社は沼間三丁目の五霊神社に合祀されたとも伝えられています。また、行基が彫ったとされる十一面観世音像は、今も沼間の法勝寺に安置されています。法勝寺の始まりは守護職・長尾左京太夫善応の名前を冠した長尾山善応寺と言われています。