北条時頼の霊廟堂、歴史の息吹。
北条時頼公の廟の特徴
独特の味わいを持つ北条時頼公の霊廟堂が魅力的です。
鎌倉時代中期の歴史を感じられる場所です。
明月院の門をくぐるとすぐ左手に位置しています。
びょうと読むらしいです。霊を祀る殿堂と言う意味らしいです。厠と間違えていました。はずかしいです。
時頼のお墓があり廟がのこるあじさい寺紫陽花を愛でる前にこちらで参拝。
明月院は禅興寺の塔頭であり、上杉憲方が建立した。名は憲方の法号「明月院天樹道合」から採っている。そのときに憲方が時頼の塔所を建立した。元々は鎌倉幕府5代執権であった北条時頼が山ノ内の邸宅の傍らに建立した最明寺が始まりである。最明寺は嫡子の北条時宗が再興して禅興寺と称した。後年、鎌倉公方である足利氏満氏満の命によって、関東管領の上杉憲方が禅興寺を中興した。しかし、禅興寺は明治初年に廃仏毀釈によって廃寺となり、明月院が残った。その墓前に最明寺入道北条時頼公御廟所が建っている。時頼は出家して最明寺入道と号した。御廟所に「最明寺入道 北条時頼公 御廟所」とあるが、最明寺入道と北条時頼公は同一人物である。
独特の味わいがありカッコいい鎌倉時代中期の鎌倉幕府第5代執権・北条時頼公の霊廟堂🌿🌿🌿
明月院の門をくぐるとすぐ左手に見えるのが五代執権北条時頼の廟所。そして、その奥の宝篋印塔は時頼の墓と伝えられている。かつて、この辺りには時頼が建てた最明寺があった。『吾妻鏡』は、1256年(康元元年)、時頼が出家の準備のために建立した寺と記している。時頼は、この年の11月22日に執権を辞し、翌日には、最明寺で蘭渓道隆を戒師として出家する(法名は「覚了房道崇」)。以後、最明寺で隠居生活を送り、「最明寺入道」と呼ばれていた。出家からちょうど7年後の1263年(弘長3年)11月22日、最明寺で没(37歳)。最明寺は時頼の死後廃絶するが、子の北条時宗が最明寺を前身とする禅興寺を創建し(開山は蘭渓道隆)、明月院は禅興寺の支院の首位に置かれていた。
| 名前 |
北条時頼公の廟 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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