神秘的な結城家御廟の探究。
慈眼院結城家御廟の特徴
神秘的な空間が広がり、歴史の重みを実感できるスポットです。
観光案内がないため、探す楽しみがありました。
結城城跡から車で5分の好立地ながら、隠れ家的な魅力があります。
結城城城外に結城氏の御廟があります。正式名称は慈眼院結城家御廟です。結城城外にあり地図⑧より少しずれた場所にあります。御廟は周囲に堀を構え、塚状に土を盛り、土塁を廻らし、床面には大谷石を敷き詰め、さらに塚全体に玉石を並べるなど、排水に細心の注意が施されています。その中に前壇を設け、初代朝光から16代政勝に加えて明朝、さらに妙仙ほか無銘の2基を含めて、20基の花崗岩製の五輪塔が並んでいます。御廟成立の時期については次のような説があります。(1)政勝が隠居後、各所にあった先祖の墓を移して、惣御廟を築造した。(2)18代秀康が越前に転封するにあたり、結城家に関わる諸寺院を越前に移転するのに際し、各寺院等の歴代の墓を移して御廟を築造した。(3)秀康の転封後、この地方を治めた代官(伊奈備前守忠次)が、領民懐柔策の一環として結城氏歴代の御廟を築造した。
【歴史探究】◉慈眼院結城家御廟 📍茨城県結城市結城合戦でその名を知らしめた結城氏の歴代城主の五輪塔が祀られた「慈眼院結城家御廟」を探究しました。13時39分に到着し他に人はおらずゆったりと探究する事ができました。☆沿革かつてこの地は小塙・乗国寺末の福聚山慈眼院という曹洞宗寺院の境内で結城氏歴代の御廟としてふさわしいものでした。御廟は周囲に堀を構え、塚状に土を盛り、土塁を廻らし、床面には大谷石を敷き詰め、更に玉石を並べるなど、排水に細心の注意が施されています。結城家16代政勝が嫡子・明朝に先立たれ出家し大雲藤長と名乗り天文22年(1553年)に慈眼院を創建。結城氏初代、朝光から16代目、政勝までの16人の歴代城主の霊の他に明朝と妙仙、無銘の2人を含めて20基の花崗岩の五輪塔が並んでいます。☆御廟成立時期(1)政勝が隠居後に各所にあった先祖の墓・ を移して築造した。(2)18代秀康が越前に転封する時に各寺・ 院等にあった歴代の墓を移して築造し・ た。(3)秀康が転封後、この地を治めた代官・ (伊奈備前守忠次)が領民を懐柔する・ 為に築造した。御廟成立時期については諸説あり、上記3点が有力とされているがどれなのかはわかっていません。☆慈眼院江戸時代までは結城家の菩提寺である乗国寺に属していたが今は廃寺となっている。☆結城市指定文化財昭和38年(1963年)10月1日◉感想東結城駅から向うと道に迷うことなく行く事ができます。東結城駅を出て南北に延びる道を北へと440m程進み「ゆうき動物病院」がある1つ目の信号交差点を左折します。道なりに280m程進むと「慈眼院入口の案内板」があるので右折、そこから165m程進むと「慈眼院の標柱」があるのでその道にを奥へと行くと「慈眼院」となります。慈眼院隣にある大谷瀬町集会所脇に車を1台停める事ができるスペースがあります。「御廟」は1段盛り上がった狭い台地上に20基にも及ぶ五輪塔が四角い輪を描くように並んでおり、厳粛な雰囲気の中、佇んでいます。「慈眼院結城家御廟」に関する説明板があるのでどの五輪塔が誰の物なのかわかるのはありがたい!一昔前に流行った「徳川埋蔵金」の発掘この場所で行われたようですが確認する事ができませんでした。「結城百選」(市内の各所・旧跡等で優れた景観・風情を有する場所)になっており、結城家廟石碑や慈眼院八尺観音などを見ながら探究する事ができました。ありがとうございました。◉所在地茨城県結城市大字結城(小塙)2769◉アクセス🚊JR東日本水戸線/東結城駅出口から872m、徒歩14分位。
分かりづらい場所でしたが、神秘的な空間でした。もしかしたら先祖かもしれないという何の根拠もない事でですが手だけ合わせさせて頂きました。
どこから入るのか、分かりにくい場所にあり、全く観光の案内はされておりませんが、結城家の歴史的には重要なのでは。私は松月院の西沿いの道を北に行って松月院入り口を通り越して少し行ったところから西に入りました。昨年の大河ドラマの鎌倉殿の13人に、初代結城朝光が出てきたり、今年の大河ドラマは家康なので、恐らく息子の結城秀康も出てくるのでは?と思いますし、これを機会にもっと観光アピールしても良いのでは。この墓所は、結城秀康が整備した、という説もあり(諸説あり)。ちなみに、初代結城朝光の墓は、結城市内の称名寺にもっと立派な墓があります。
結城城跡から車で5分位の所にある。特に駐車場はない。私は近くの自治会のゴミ集積所前の広場の隅に停めさせて頂いた。史跡の前にも駐車できそうなスペースはあるが、史跡自体が大分傷んでいるようで、車の乗り入れは遠慮した。史跡は静寂で趣があり、結城氏16代の歴史を感じられる。結城市内に御影堂もある16代政勝公が嫡子明朝に病で先立たれ、世の無常を感じて出家し、慈眼院を創建したとの説明である。但し、この結城家御廟の築造者は、政勝以外に、18代秀康、或いは代官伊奈忠次との説もあるそうである。《2023.10.20訪問》
民家の裏手、分かりにくい場所。結城氏歴代の墓、土塁に囲まれ鎮座してます。一見の価値あります。
レンタサイクルで伺いましたが、結構分かりにくかったです。右から4つ目が初代「朝光公」のお墓との事です。
レンタサイクルで伺いましたが、結構分かりにくかったです。右から4つ目が初代「朝光公」のお墓との事です。
市内からどど橋を越え北向き地蔵を東へ行くと有った?風景がかわりようやく見つけた。
| 名前 |
慈眼院結城家御廟 |
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| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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隣の集会所横に駐車可能。道が狭いので注意。初代朝光から政勝までの墓が残されている。晴朝・秀康は越前藩に転封となったので墓はない。かつては堀を構えた立派な御廟だったそうだが今は寺なく墓石のみ。山川水野家といい結城家といいなぜこうも菩提寺に恵まれないのだろうか。