船繋の松が彩る尾野神社。
尾野神社・立坂神社の特徴
元伊勢の一つとして参拝できる神社です。
御祭神は天押帯日子命が祀られています。
船繋の松という有名な松が鎮座しています。
元伊勢の一つではないかと聞いて参拝に伺いました。しかし、狛犬や石灯籠、瓦葺きの社殿や鈴など伊勢神宮にはないアイテムがてんこ盛り。
尾野神社、立坂神社と並んで鎮座されています。社務所の横を入ると、船繋ぎの松と呼ばれる史跡があります。神社横の丘陵は御祭神所縁の御陵とも言われているとの事です。
御祭神:天押帯日子命(あめのおしたるひこのみこと)地域の氏神様です。境内にはお稲荷さん、祖霊社、があります。又、社務所の横を少し下がると「船繋ぎの松」があり、拝殿の前の御神木「梛の木(なぎのき)」推定樹齢300年以上があります、桑名でも上位の神社です。
船繋の松という有名な松の木がある神社です。
| 名前 |
尾野神社・立坂神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0594-21-1352 |
| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-mie/jsearch3mie.php?jinjya=63151 |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
尾野神社(おのじんじゃ)。三重県桑名市東方西馬様。式内社(小)、旧県社。江戸時代は「船着大明神」とか「江御前」と称していた。主祭神:天押帶日子命(あめおしたらしひこのみこと)第5代孝昭天皇皇子で、第6代孝安天皇の同母兄、第7代孝霊天皇の外祖父である。和珥氏(和邇氏/丸邇氏)・春日氏・小野氏ら諸氏族の祖とされる。【関係氏族】小野津臣資料によると、社名は奉斉した小野津臣によると思われる。創立は崇神天皇28年秋9月と伝える。この地に居住していた小野津臣が、小野氏の祖神妹背二柱、天押帯日子命と大后神高御前月読命を齋き奉った。一柱を尾野山の北方字西馬様(バサマ)(現地)に葬り祀り、これが尾野神社であり、つぎの一柱を尾野山の南方字立坂に葬り祀った、これが立坂神社である。背後にある小高い丘は、その始祖を葬る御陵跡と伝えられている。前方後円墳の形をとどめているが前方部は現在大成小学校の校庭になっている。往古は御陵の上に神殿があり、これを「奥之院」と称していた、現在も頂には松の大樹が繁り、その数本の大木を中心に玉垣がめぐらされ、元の社地跡の名残りをとどめている。またこの岡は尾野山城跡で、尾野神社の別当尾野山正斎坊が築城。永録天正のころ信長勢によって滅亡とも、また永禄中には建部(渡部とも)掃部下介が居城とも伝える。往古はこの附近一帯(更に北方まで)にかけて海が入りこみ、舟着場として栄え、ここを基点として陸路東海道、美濃路へと向つたものらしい。立坂神社は現在、当社本殿の右隣に社殿がある。旧社地は桑名市東方1895-1、桑陽保育所の地とされている。明治41に式内社尾野神社の境内社へ合祀。とあります。参考として、立坂神社は、もともと市内西方にあったのですが(市立桑陽保育所のところに「立坂神社旧蹟」の石碑があります)、明治41(1908)年、ここ尾野神社に合祀されました。立坂神社は、別名、「草鞋社」といいます。海善寺の僧が修行に出る時、道中安全を祈願して草鞋を供えたといいますし、また、足止め信仰があったため、家出人があった場合には、ここに草鞋を供えて、家出人の足を止めることを祈願したともいいます。市内新矢田にも立坂神社がありますが、そちらは、もともとは矢田八幡社と称していました。桑名藩主本多忠勝の宗敬深く、以後代々の藩主の保護を受けています。明治以後は、この矢田八幡社が、式内立坂神社と称しています。とあります。