小田原駅前に立つ火牛の計!
「北条早雲公像」石黒孫七の特徴
小田原駅西口のロータリーに位置し、すぐに目に入る大迫力の銅像です。
北条早雲公の馬上像は火牛の計を象徴し、戦国時代のダイナミズムを伝えています。
この銅像は多くの方々の寄付により建立され、小田原の観光名所として親しまれています。
室町から戦国時代にかけて活躍した武将で、下剋上の先駆けと言われています。小田原駅西口のロータリーのど真ん中に鎮座しているため、バスなどがこの像の前を通ります。近づく際にはお気をつけください。#クアたま。
北條早雲公像小田原駅の西口ロータリーにある北條早雲公像は高さ5.7m重さ7tの日本最大級の銅像です。北条早雲の「火牛(かぎゅう)の計」をモチーフにしています。
西口のロータリー中央にある北条早雲の像です。火牛の計が特徴的ここから戦国時代が始まりました目の前がロータリーの道路なのでゆっくりみれませんでした。
小田原城に向かう東口ではなく反対の西口におられました。世にも有名な火牛の計を使っておられました流石、戦国時代の始まりを告げた下剋上を果たした戦国大名の魁にふさわしい凛々しいお姿でしたそして何よりこの銅像デカくて迫力があります!
小田原駅のすぐ目の前広場にある北条早雲の像!戦国大名の先駆けと言われる北条早雲。下剋上の元祖!戦国時代、歴史好きには訪れておきたいスポットですね!
小田原駅西口のロータリーにある巨大な銅像で、クルマでピックアップしてもらう時に目印にしています。北条早雲は室町時代の武将で、鎌倉幕府で執権を握っていた北条氏とは違います。
小田原駅西口 新幹線口のロータリーにあります。北条早雲( 伊勢宗瑞)公の 銅像は 馬上に乗り 火牛の計の牛を引き連れています。戦国大名のはしりで、 小田原を中心に五代約100年間で 関東を 手中に納めたせ戦国の雄です。初代早雲(宗瑞)公は最後の居城は、 伊豆の国市の韮山城であり、 小田原城を本拠としたのは 二代目氏綱公の時代からです。
信長の野望は、織田信長が中心になるため北条早雲はあまり活躍させる機会がありません。全武将が出てくる特別なシナリオでないと使う機会はないです。使ってみると太田道灌と並んで全シナリオ屈指の強キャラです。ありがたいことです。
小田原駅西口を出て最も近い観光名所。威風堂々とした北条早雲公の銅像はなかなか迫力があります。駅前にある戦国武将の銅像というと、甲府駅前にある武田信玄公の大きな銅像を思い浮かべますが、それと比べると少し小さいかなという印象です。北条早雲は、戦国時代に相模国を統一した人物で、小田原城の城主。鎌倉時代に活躍した北条氏とは関係なく、区別するため、「後北条氏」や「小田原北条氏」と呼ばれています。北条氏はその後、武蔵国まで領地を拡大し、豊臣秀吉に滅ぼされるまでの約100年間、5代にわたって繁栄を続けました。
| 名前 |
「北条早雲公像」石黒孫七 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0465-33-1521 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
|
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神奈川県は小田原市の小田原駅前に有ります「北条早雲公像」です。(因みに北条早雲の実際の名は伊勢【新九郎】盛時です。自分では北条早雲と名乗った事は有りません)北条早雲は言わずと知れた戦国時代を開いたとされる小田原北条氏の初代ですね。こちらの像は、皆さん書いている通り「火牛の計」と言う戦術がモチーフとなっていました。「火牛の計」とはなんぞやと言うと…元々は中国の兵法の一つで、沢山の牛の角に剣や松明(たいまつ)等を付け、尻尾には油に浸した葦の束を結んで点火し、夜討ちの際に敵陣に放つ事で相手を混乱させる戦術です。日本では古くは源平合戦の中の一つ、「倶利伽羅峠の戦い」で木曽義仲がこの戦法を使い、平家を大軍が来たと勘違いさせ大混乱に陥れ勝利したとか。北条早雲は明応四年(1495年)に小田原城を奪取する際、1000頭の牛(1000頭は誇張された数かも…)の角に松明(たいまつ)を灯して突入させ攻略し、勝利したらしいですね。北条早雲はこの攻略で小田原城を手中にし、以後5代で約100年にわたり、小田原北条氏としてこの地及び関東一円を支配し統治しました。尚、この北条早雲の火牛の計のエピソードは、北条早雲の大胆さを伝える後の時代の創作と言う説も有ります。どちらにしても奇策を用い大胆な戦略で勝利を掴むと言うタイプの武将だったのでしょうかね北条早雲は。皆さんも是非にブラリと。因みに駅前ロータリーの御迎え停車ゾーンにハザード付けて車停めて約3分程で見学出来ますが…直ぐに駐禁取り締まり来ますのでご注意を。コインパーキングに入れましょう。参考まで。