日本最古の足利学校で歴史旅。
足利学校の特徴
日本最古の学校であり、国指定史跡の足利学校です。
茅葺屋根が特徴的な歴史的な建物が魅力です。
足利灯り物語では美しいイルミネーションが楽しめます。
「坂東の大学」と称えられた足利学校を訪れ、室町時代の向学心の高さに深い感銘を受けました。質素ながらも凛とした佇まいの校舎や庭園を歩くと、かつての学生たちが自学自習に励んだ息遣いが聞こえてくるようです。特に印象的だったのは、当時最先端だった儒学や易学が、この地から全国へと広まり、日本の精神文化の礎を築いたという事実です。戦乱の世にあっても、知の灯火を絶やさず守り抜いた人々の情熱に触れ、歴史の奥深さを再確認しました。現代に生きる私にとっても、学ぶことの本質や姿勢を問い直す、非常に有意義なひとときとなりました。
刀剣展示イベント際に寄らせていただきました!中はとても綺麗で、庭と敷地が広かったので、景色とかを撮るだけでも一時間くらいは軽く滞在できます。歴史を学べる所も屋内施設としてあるので、じっくり見たい方は多めに時間を取っておいたほうがいいです。チケットも凝ったもので、記念印がたくさんあったので、何か紙など別に押せるものがあるといいかもしれません。チケット綺麗に持ち帰りたい方は特に。
日本最古の学校跡確実な歴史では上杉憲実(室町時代)が再興したところから始まります車は太平記館の無料駐車場に止められます参観料480円受付すると学生証と言うステッカーがもらえますその場で服に貼るか記念に持ち帰るかは判断です学校内の建物は孔子廟など一部を除き近年復元されたものがメインで、来歴は古いもののあまり歴史は感じませんでした宝物館的施設として図書館があります文化財の古文書や足利学校に関する書籍があり、書籍は自由に読む事が出来ます全体的に史跡と言うよりも日本庭園を散策する公園と言った印象でした歴史好きなら有料で近年復元された真新しい建物を見学するより、タダで国宝や重文を見学出来る隣の鑁阿寺をオススメします。
入学金は480円です。チケットが入学証になっているのは良いですね。庭がとても綺麗でした。実際見学できるところは少なく、想像とは違い私的に興味のあるところが無く、30分程で退学しました。パーキングは他にも寄りたいところが有ったので、徒歩5分程の無料駐車場に停めました。近隣に無料駐車場が数ヶ所有ります。綺麗な街なので散歩がてら歩くのもお勧めします。
日本最古とも言われる足利学校です。もしこちらに寄ることがあれば一度は訪ねたくありました。まだ金木犀の香りの残る雨の日に訪問。平日だからかひっそりとしてました。ステッカーとかもらえる。かなりの歴史的人物が来ているようでした。徳川家の位牌もパワーを放ってました。そして展示物の日本地図(ザビエルとかいたくらいの)がテキトーでしたwまぁ正確に地理把握されてても危ないんですけどね。足利というとどうしても大河ドラマ的にかすってくるのが太平記とかになるから売り出しにくいのかもだけど、もっとどさくさに紛れて売り込まないとって思いました。逃げ上手の若君でも足利学校って触れてるのに。諏訪とか鎌倉めっちゃ攻めてるんだけどなぁ、観光的な意味で。庭もきれいにされていて、一度訪ねてみるのは悪くないと思います。
あしかがフラワーパークに行った際にこちらにも寄りました。無料の駐車場が近くにあります。時期によってはイルミネーションもやっているようなので、お時間がある時についでに寄ってみてもいいかもですね。
フランシスコ・ザビエル「坂東の学院あり。日本国中最も大にして最も有名なり」。ルイス・フロイス「日本の綜合文科を有する唯一の大学」「全日本でただ一つの大学であり公開学校」当時の日本国内での足利学校の評判が高かった理由は、公開の教育機関であったという点にあろう。つまり各大名家や貴族における教育機関は、当然それぞれの内部にあったことは想像に難くないのであるが、足利学校に関してみれば「学校」の名の下に広く学徒を受け入れた点において、その特徴が顕著であったと言えるだろう。その背景には、室町将軍家足利氏の本貫地としての足利荘の特殊性があげられよう。足利学校の起源については小野篁説・国学遺制説をはじめ、藤姓足利氏説、源氏足利氏説など諸説があるが、少なくとも鎌倉期の源姓足利氏にかかわる教育機関として発足したとして差し支えないと思われる。足利市の氏寺である鑁阿寺(ばんなじ)所蔵の1249年正月7日の定書によれば、足利義兼の意向をふまえ、足利義氏の奨励のもと、講書始が行われ『大日経疏』と『周易注疏』の二書が僧侶によって講ぜられている。本格的に整備されたのは関東管領上杉憲実が1432年、足利荘の管理を委ねられてからで同年閏11月に『五経疎本』若干の巻を学舎に安置。・・・憲実は鎌倉円覚寺在住の碩学の禅僧である快元を招聘し、足利学校の庠主(しょうしゅ)として迎えた。改元は易学に造詣深く、以後足利学校は易学の伝統を継承することになった。憲実は・・・儒学以外の学問を禁止している。歴代の庠主や入学者のほとんどが僧侶であったにも関わらず、仏教関係の蔵書などが少ないのも、当初の憲実の学規三条による儒学を柱とする学風が根付いていたからであろう。また戦国期には各地の戦国大名が易学(戦陣での占い)や兵学などをおさめた人材を求める傾向にあったことが、足利学校の隆盛をみる背景になったと考えられるだろう。『栃木県の歴史』137−138頁1530年代、2度の火災によって講堂や書院など多くの建物が焼失するも北条氏政が援助し再興。兵学を中心に教えていたこともあり、戦国大名から重宝されたものの、その実態は学校で学んだ僧侶などの知識人が政治のブレーンとして戦国大名に仕えたことで結果的にそう見えてしまったらしい。1590年に北条氏が滅亡すると足利学校も衰退し、蔵書は豊臣秀次が持ち帰り、校長も上洛。翌年には閉校。江戸時代に入ると足利周辺に入部した領主らによってまた再興。『あなたの知らない栃木県の歴史』78ー79頁とのことで、日本全国的にも重要な足利学校ですが、足利市や栃木県の観光政策の一環なのか、だいぶ復元されて整備されており、国宝を保持する隣の鑁阿寺ともども、見所満点の文化遺産です。今でもちゃんと学校ならではの図書館などがあって興味深い施設でもあります。
日本最古の学校として国指定史跡となり、まさに足利を代表する遺産である足利学校。正直修学旅行的な若い年代で来ても面白さは無いと思いますが、ある程度年令を重ね、学問の大切さや生涯学習とは何かというものが分かりかけてきたときに伺うと実に面白いと思います。この様な環境で学んだ昔の人に思いを馳せるとともに、学ぶということを再認識させて貰える場所が足利学校だと思いますし、これからも後世に残すべき史跡であると思います。
足利の観光と言えば足利学校でしょうか?有名な神社も有る様でしたが時間が足りず又のチャンスに伺いたいと思います。私にとって学校は苦手でしたがここを見学出来て少し考えが変わったような?先人達が熱心に学問と向き合っていた姿を想像するだけで頭が下がります。規模はかなり小さくなっているのでしょうが雰囲気は伝わりました。
| 名前 |
足利学校 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0284-41-2655 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.ashikaga.tochigi.jp/education/000031/index.html |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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足利学校の創建については、奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁説、鎌倉時代の足利義兼説などがありますが、歴史が明らかになるのは、室町時代の永享11年(1439)関東管領・上杉憲実(うえすぎのりざね)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、鎌倉円覚寺から僧・快元(かいげん)を招いて初代の庠主(しょうしゅ=校長)とし、足利学校の経営にあたらせるなどして学校を再興してからです。足利学校は、応仁の乱以後、引き続く戦乱の中、学問の灯を絶やすことなくともし続け、学徒三千といわれるほどに隆盛し、天文18年(1549)にはイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介されました。江戸時代の末期には「坂東の大学」の役割を終え、明治5年に幕をおろしましたが、廃校直後から有志による保存運動が展開されるなど、郷土のシンボル、心のよりどころとして足利学校の精神は市民の中に連綿として生き続け、平成2年の復元完成へとつながり、教育の原点、生涯学習の拠点として、新しい学びの心の灯をともしています。