歴史を映す水戸城薬医門。
水戸城 薬医門(やくいもん)の特徴
旧水戸城薬医門は、現存する数少ない遺構のひとつです。
水戸城本丸跡地に移築された立派な門の歴史を感じます。
国指定の重要文化財であり、自由に見学可能です。
昭和58年に県指定有形文化財にしてされた「水戸城薬医門」です。高校の敷地内にあり案内板に見学の為の立ち寄り範囲が表記されていますのでそれ以外には立ち入り禁止です。薬医門は第二世界大戦の戦災時に八幡町の祇園寺に移設されていたので旧水戸城焼失時に唯一残された水戸城の建設物です。桁行3間、梁間1間、切妻造、茅葺風銅板葺、箱棟付の単層薬医門です。中央柱間に内開きの大扉と左の脇間に潜扉があります。薬医門の平面構成は親柱とその背後の控柱から成り立つ簡単なものですが、屋根の棟の位置が両柱の中間より前面に寄せられるため、正面の軒が深く風格のある門構えとなっています。建立年代を特定する資料は発見されていませんが、安土桃山時代末期、佐竹氏が水戸城にいた時期に建てられたものと考えられます。この門の旧位置については、形式と規模そして風格からみて、本丸橋詰門とするのが適当と思われます。明治20年(1887)頃と昭和19年(1944)の2回、水戸市内で所在を変えて移築されましたが、昭和56年(1981)に、水戸城本丸跡地である県立水戸第一高等学校敷地内(旧位置近く)に移築復元されました(茨城県教育委員会ホームぺージより)
2024年12月27日に見学しました。佐竹義宣が水戸城主であった頃、本城橋を渡った本丸表門として建てられたのが、この橋詰門です。建築様式としては、医薬門の形式の構造です。明治4年1871年の廃城により、民間に払い下げられました。一時期、市内の祇園寺山門として移築されていたそうです。そのため、水戸空襲の時に類焼を免れました。祇園寺にあった頃は、瓦葺だったようです。佐竹義宣が建てた当初は、茅葺だったことが分かりました。昭和56年1981年に現在地へ再移築され、銅板葺になりました。水戸城の建築物で唯一現存する建造物です。
茨城県は水戸市に有ります「旧水戸城薬医門」です。今は水戸城本丸跡の中に有ります。「旧水戸城」と言う名称のとおり、水戸徳川家時代より前に建てられたものです。しかしながら水戸徳川家はそのまま本丸の正門として利用していた様です。徳川家が本丸の正門として利用していましたが、徳川幕府滅亡後は城外に移されていました。昭和時代に今のこの場所(本丸跡の中)に戻されました。恐らく当時は、本丸入口(今は学校の入口)の谷になった自然の要害付近に木製の橋がかかり、そこに有ったのかなという事が想像出来ます。この薬医門は16世紀末(1500年代末)の佐竹氏の領有時代に建てられた門だそうですね。ここ水戸城自体は平安時代末期に、桓武平氏である馬場氏が最初に築城したらしいです。馬場氏は平国香の後裔との事です。因みに平清盛も平国香流ですね。馬場氏が最初に築城し、常陸江戸氏(藤原氏)、佐竹氏(源氏)、徳川氏(自称•源氏)と言った感じで在城主は変わって行きました。因みに、ここ薬医門は旧水戸城で唯一の現存の建造物らしいです。やはり…シンプルな中にもどっしり感が有り、なかなか良い造りですね。きっと…水戸徳川家が造ったなら、もっと派手で立派な物になっていたでしょうね。佐竹氏時代ですから質実剛健というムダの無い造りでした。皆さんも是非にブラリと訪れてはいかがですか。
2024年6月17日 現存の門として見どころがありました。学校の敷地内ですが見学は許可されていました。
この城門は、旧水戸城の現存するただ一つの建造物との事。学校施設内で、この領域だけ見学OK。
水戸城本丸跡に移築された唯一の建造物の遺構です。堂々とした風格があります。建造の時期は安土桃山期頃と推定されています。
この城門は、旧水戸城の現存するただ一つの建造物で、 形式は正面の柱の闇が三つ、出口は中央だけの三間一戸の薬医門、二つの脇扉がついている。薬医門とは、扉を支えている本柱とその後にある柱(控柱)で 支えられた屋根の棟の位置を、中心からずらす形式で、側面の姿は対称形ではない。正面から見ると、軒が深いため門はゆったりとして威厳があり、大名の城門にふさわしいので、多くつくられた。建立の時期は、構造や技法からみて安土・桃山期と推定される。建物の各部分に開いてある木材の大きさの割合、 すなわち木割は太く、屋根面の相交わる部分に用いてある木材(棟木)は見えるようになっている化粧棟木で、棟木 を支えるとともに装飾となっている板蟇股は雄大、また化垂木の端の反り増しの技法、柱の上にあって軒桁を支えている横木(実肘木)やえぐって曲面にした板蟇股の部分 (繰形)の形状などからみると、おそらく佐竹氏の時代( 一五九一~一六〇二)に創建され、徳川氏に引き継がれたものといえよう。城門のあった位置には諸説があるが、城門の風格からみて橋詰御門、すなわち本丸の表門と考えられる。永らく城外に移されていたが、昭和四十五年四月十七日、水戸市指定建造物となる。昭和五十六年九月、この城門にふさわし い旧本丸の入口に近いこの場所に移築復元した。その際かやぶき部分補修をするとともに、切妻造の屋根をもとの茅葺にかえて銅板葺とした。【現地案内板より抜粋】現在は大手門が復元され、すっかり一般的な水戸城のシンボルが移った感じですが、数年前までは水戸城と言えば薬医門でした。風格は堂々たるもので、他の復元と合わせて、唯一の現存移築遺構として、今以上に脚光を浴びて貰いたいと思います。
『夜梅祭』で散策して、初めて訪れました。明るい時間に、またゆっくり訪れたいと思います。
立派なもんです。高校がありますが、門の見学はできます。
| 名前 |
水戸城 薬医門(やくいもん) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
029-244-5454 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 8:30~16:00 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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水戸城の本丸跡は、県立水戸第一高等学校があります。ここには、薬医門という水戸城の現存する唯一の建造物があります。薬医門の建立年の時期は、構造や技法から安土桃山期と推定されています。この門の位置については諸説あるようですが、形式と規模そして風格からみて、本丸の表門だったと考えられているようです。この門は、水戸市内で所在を変えて移築されましたが、1981年に元々あった場所に近い本丸跡地の県立水戸第一高等学校敷地内に移築されました。学校の敷地内にありますが、薬医門の見学エリアだけは入れます。