山本五十六の遺した感動。
山本五十六記念館の特徴
五十六の搭乗機の翼や直筆手紙に圧倒される貴重な展示物が揃っています。
山本五十六の生家が近くにあり、彼の生涯を深く学べる歴史的な場所です。
記念館は小規模ながら、真珠湾攻撃に反対した五十六の人柄を知ることができます。
中部屋一部屋のみの展示になります。内容は悪くないのですが、やはり展示室が小さく15分ほどで見終わってしまいます。入館料は大人500円でした。また館内撮影禁止です。
新潟県長岡市にある「山本五十六記念館」を訪れた。長岡出身の海軍元帥・山本五十六の生涯や思想を紹介する施設で、軍歴や連合艦隊司令長官としての功績が、写真や直筆資料、遺品などを通して分かりやすくまとめられている。真珠湾攻撃を指揮した人物という印象が強いが、館内では日米開戦には慎重だった姿勢や、航空戦力の重要性を早くから見抜いていた先見性にも触れられており、単なる戦史展示ではなく「人としての山本五十六」を感じられる内容だった。展示はコンパクトながら要点が押さえられていて、じっくり見て回れる。周辺には生家跡など関連スポットもあり、あわせて巡ると長岡の歴史とともに理解が深まる。歴史に詳しくなくても楽しめる、落ち着いた雰囲気の記念館だと感じた。
山本五十六元帥の資料館。規模こそ大きくはないが、元帥の生い立ちや遺品など多数が展示。太平洋戦争、真珠湾攻撃を指揮したことでも有名ですね。最期をむかえたときに搭乗していた戦闘機の翼は見応えあり。『やってみせ、言って聞かせて…』は忘れてはならない名言です。
長岡の偉人、山本五十六の生涯を知ることが出来ます。館内は撮影禁止でテニスコートほどの大きさのワンフロア。1884年長岡に生まれ、大日本帝国海軍第26代、第27第連合艦隊司令長官であり、1943年にブーゲンビル島で戦死するまでの詳細な軌跡が残されています。戦死していたときに搭乗していた一式陸攻の翼が展示してあります。海軍大学校を卒業後、米国ハーバード大学に留学した時の話など大変興味深かったです。パプアニューギニアから一式陸攻の翼を返還するまでの交渉がVTRに纏められており、返還交渉が用意ではなかったことが窺い知ることができます。所要時間は30分強を見れば十分です。駐車場は6台しかないので、休日は満車を覚悟で近くのコインパーキングに停めるのが賢明です。
館内は撮影不可でした。いつの時代にも通底する”常在戦場”ですね…米国留学経験を持ち、開明的に無謀さを知りながらも…当地が輩出した偉人達に敬服するとともに、地域に醸成された慧眼に感服する訪問となりました。
入館料500円 私が行った時は支払いは現金対応のみ館内の写真撮影は禁止家族に宛てた手紙の中に留学をした際、私服姿で図書館で雑誌を読むアメリカ人女性を見て驚いた旨が書かれていましたが「女性は家を守るのが仕事だろうが!」とならずに冷静に考えているのが印象に残りました。男女平等、多様性が尊重されていなかった当時、落ち着いて物事が見れる聡明な方だったんだな...と。部屋の真ん中に五十六さんが搭乗し撃墜された飛行機の翼が展示してあります。この翼は簡単に日本に帰って来れた訳ではなく、たくさんの方の尽力があったようです。長岡駅から徒歩で行ける距離ですのでぜひ訪れてみてください。
新潟から長岡まで車で70キロ程度を走り訪問。長岡は新幹線も停車するので電車での移動も可能だろう。山本五十六元帥の出身地に設けられた記念館。生い立ちから戦死されたパプアニューギニアとの交流までの貴重な展示がある。戦死された際に搭乗されていた一式陸攻の翼と座席には息を呑む。非常に興味深い展示であるが記念館は撮影禁止なので外観とパンフレットのみの撮影。入館料支払いは現金のみ。
街の中にある記念館。駐車場は狭いので注意。館内は撮影禁止。ジャングルから回収した一式陸攻の翼の展示は圧巻。山本五十六が座っていた座席も回収され、展示されている。
彼の業績を讃える為に設けられた博物館。メインを飾るのは、彼が最期に搭乗し、撃墜された飛行機の左翼の先端部が、館内中央に展示されていて、周りを囲むように彼の遺品や手紙、写真が展示されています。惜しい事に撮影禁止との事。訳が分かりませんね📷️。
| 名前 |
山本五十六記念館 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
0258-37-8001 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 10:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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ブーゲンビリアで無念の中で戦死した、太平洋戦争時の連合艦隊司令長官、山本五十六の記念館。故郷である、新潟県長岡市にある。小さな記念館だが、山本五十六氏の人柄や凄さ、魅力を大いに感じることができる。15歳の時に書いたという手紙の筆跡がとても学生が書いたとは思えない、達筆な筆跡で驚かされたが、内容にもユーモアがあり、魅力的な人柄を想像することができる。ブーゲンビル島で最後に乗っていた、海軍一式陸上攻撃機の左翼部分も展示されており、当時の無念が忍ばれる。やってみて、言って聞かせて、ほめてやらねば人は動かじ、の名言は誰もが知っている言葉だが、改めて偉大なリーダーの一人であり、後世の我々も大きな背中を感じることとができる展示に感謝したい。惜しい人物を戦争で失なってしまったことが本当に悔やまれる。The memorial hall for Admiral Isoroku Yamamoto, Commander-in-Chief of the Combined Fleet during the Pacific War, who died in battle aboard the Bougainville in bitter regret. It is located in his hometown of Nagaoka City, Niigata Prefecture. Though a small memorial hall, it allows visitors to deeply sense Admiral Yamamoto's character, greatness, and charm.I was astonished by the calligraphy in a letter he wrote at age 15—it was so masterful it was hard to believe it came from a student. The content also showed humor, allowing one to imagine his charming personality. The left wing section of the Type 1 Naval Land Attack Plane he was flying on Bougainville Island is also on display, evoking the deep regret of that time.His famous saying, "You must let them try, tell them, and praise them; otherwise, people won't move," is known to everyone. I am grateful for this exhibition, which reaffirms him as one of the great leaders and allows us, his descendants, to feel the weight of his legacy. It is truly regrettable that such a remarkable individual was lost to war.