岩殿城で富士山の絶景を!
岩殿城跡の特徴
武田家ゆかりの小山田氏が築城した歴史ある城跡です。
畑倉ルートからの登城は眺望が素晴らしく、多くの登山者に人気です。
岩殿山からは大月市街と富士山の絶景が楽しめます。
秀麗富嶽十二景 八番 岩殿山2026年2月19日、西に迂回する形で新たに整備された強瀬(こわせ)ルートを登りました。急斜面のトラバース箇所にはしっかりとした足場と鉄柱+ロープ手摺りが設けられ、安心して登ることができました。この場をお借りして登山道整備プロジェクトの関係者の方々のご尽力に深く感謝します。展望台からは遠方に雪景色の富士山と、眼下に広がる大月市街が見下ろせました。桜が咲く頃に再訪させていただきます。
岩殿山は急峻にして険しい断崖絶壁を巡らし攻めにくく守りやすい戦国時代の難攻不落を誇る名城でした🧐秀麗富嶽十二景八番山頂よりの絶景は本当に素晴らしいの一言です🤩どちらの登山口よりも1時間弱で登れるお手軽なのに岩場や鎖場などあらゆる魅力がギュッと詰まったお薦めの山です😘高川山をご来光登山した後に帰りに初登頂してどちらも天気が良く最高の思い出になりました😍次回は裏側より攻めてみたい⛰️
2025年の登り納めに行きました。岩殿山は、以前は城があったので、痕跡が残っています。案内板がありましたが、もう少し詳しい内容だと良いかと思いました。秀麗富嶽の眺めは最高でした。
武田勝頼が入れなかったことで有名な小山田信茂の城現在は畑倉登口からしか訪れることは出来ないが登り口から30分くらいで城跡に到達する山の頂上付近が本丸で富士山を一望することが出来る山城だがハイキングコースのため登山客が多くいる電波塔の設置により遺構はかなり破壊されてるようだが堀切や井戸跡などを見ることが出来る。特に大月駅から見ることが出来る剥き出しの岩盤である揚城戸跡は必見。
立派な岩の城をイメージして訪問しましたが、特に遺構らしいものは見当たらず、説明書きも僅かでした。本丸まで登るには、岩倉口という登山口からしか上がれず、あとは閉鎖されてます。こちらを登りましたが、ハイキングしてる様で城趾を訪問した感じはありません。本丸から富士山も見えました。
大月駅から畑倉登山口まで歩いて30分くらい、そこから急な山道を30分登って到着した岩殿山頂。眺めは素晴らしく新しいベンチも3つあります。レジャーシートを持っていれば広い場所があるのでお弁当を食べるにはもってこいの場所です。もう少し先まで行くと展望台になっている場所もあるのでそこまでは比較的安全です。その先の稚児落としまでは鎖場やかなりの急斜面なので子供や体力に自信がない人には危険だと思います。畑倉登山口まで戻って下山するのが無難です。
岩殿山城は麓から見ると山頂近くの鏡岩と呼ばれる巨岩そびえており威圧感を感じさせる城です。標高は634m、比高は約250mと歯ごたえがあります。ハイキングコースはかなり人気のようで、多くの人が登っていました。岩殿山公園駐車場→畑倉登山口→城趾を往復して約2時間の所要時間でした。山頂からの眺望はよく大月市街と多くの山々を見渡すことができます。晴れていれば富士山も見ることができるはずです。岩殿山城は山頂に本丸があり、尾根沿いに郭が並び鏡岩の上は三ノ丸となります。遺構としては烽火台、井戸跡、竪堀、堀切などが確認できますが、急峻な絶壁に囲まれる天然の要害のためかそれほど加工は目立ちません。また、そのような地形のためそれほど広い城でもありません。岩殿山城は武田氏重臣の小山田信茂の居城でした。織田信長の武田領侵攻時に新府城から逃れた武田勝頼はこの岩殿山城に逃れようとしましたが、小山田信茂が織田方に裏切ったため天目山で自害に追い込まれました。しかし、裏切った小山田信茂も許されず処刑されるという結果となりました。
大月での乗り継ぎに降り立ったときホームに案内板がありあそこかと。改札を出て観光案内所があったのでお聞きすると麓の資料館のような場所まで駅から徒歩15分、ただそちら側からだと山頂アタックは出来ず、大きく反対側へ回り込むのに60分以上歩き、山頂までは急登で本格的な登山ですとのこと。そんな場所に城を築くとは想像を絶します。行かれる際には装備を整えてからどうぞ。
岩殿城(いわど(と)のじょう,山梨県大月市)県史跡,連格式山城,武田の三堅城の一つ,標高634m,比高260m別名 岩殿山城南から巨大一枚岩の下を抜けて西側を登る強瀬(こわぜ)ルートでは登れませんでしたが,北側から回り込んで登る畑倉ルートから登ることができました.強瀬ルートの上から巨大一枚岩の横までは行けたので城として大事なところはおおよそ見学できました.写真の順としては南下から登ったように並べました.眺めの良い城の中でも,ここまでの標高差を眼下に見ることは少ないと思いました.岩殿城の歴史について触れると,岩殿山は9世紀の初めに,天台宗岩殿山円通寺(いわとのさんえんつうじ)として開創されたと云われる.10世紀のはじめには三重塔,観音堂,僧房その他の建物が並び,門前町を形成した.戦国時代,大永7(1527)年,小山田信有は岩殿山山頂に岩殿城を築城した.武田,小山田両氏の支配地を,武蔵,相模に備える拠点の城とされた.武田信玄の頃には,武田24将の一人に連ねる小山田信茂が城主であった.信玄亡き後,天正3(1575)年,長篠の戦いで織田・徳川連合軍に大敗した武田勝頼は急速にその勢力が衰え,天正10(1582)年ついに織田軍は甲斐に迫った.敗走した勝頼は,守りを強化した新府城へ戻ったが,その時の勝頼の従者はわずか千人程度であり,広大な新府城では,籠城もできないため,新府城に火を放ってさらに敗走した.後から創作された話のようだが,真田昌幸は,岩櫃城に,小山田信茂は,岩殿城に勝頼を招こうとし,勝頼は新参者の真田よりも小山田を信用し,岩殿城を目指したが,3月11日に笹子峠で信茂が織田方に寝返ったことが知られ,勝頼は,北の天目山・栖雲寺に向け移動中に滝川一益の軍に追いつかれ,田野付近で自刃し甲斐武田氏は滅亡した.その後,小山田信茂は織田信長に付こうとしたが,主を裏切った不忠者として処刑された.同年の本能寺の変の混乱で,一時,岩殿城には北条氏が入った.1590(天正18)年の小田原攻めにより,徳川家康が関東に転封されると,甲斐は徳川領になり,岩殿城には城番が置かれた.江戸時代に入っても,家康は幕府の緊急事態の際に甲府への退路を想定し,岩殿城の機能を保たせた.
| 名前 |
岩殿城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP |
https://www.pref.yamanashi.jp/damu-fk/otsukicentralpart.html |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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40年以上前に行った記憶があり駅から近い事もあり昼近くに横浜出て散歩気分でお出かけ物凄く舐めてました!中々登りがいのあるお城だった。途中登山道が土砂崩れで迂回した事もあり片道30〜40分かな〜晴れた朝、ここから見る富士山は綺麗だと思いますよ。