薄幸な姫の伝説を訪ねて。
鴫山の姫塚の特徴
現代で云うところのハンセン病に罹った姫を祭った特別な塚です。
三瓶町誌に記載された御姫様の塚に由来する歴史的なスポットです。
薄幸な姫を偲ぶ静かな雰囲気が漂う場所となっています。
現代で云うところのハンセン病に罹った姫が船に乗せられ都から遠ざけられた。流れ着いた先々でも追い返され、やっと上陸できたのが川名津だったが、そこでも追われ、山を超えたどり着いたのが、ここ、鴫山。村人は姫を憐れみ、皆で姫を養うこととした。大層感謝した姫は、村人が川名津の浜から持ち帰った平石に経を書き、祈りの日々を過ごした。鴫山から私と同じ病のものが出ないようにと祈願して。その平石を積んで供養塚としたのが、この姫塚。明治頃は、経の文字が薄っすらと判別できたそう。悲しくも美しい物語に一瞬で心打たれ、年に一度は訪ねてます。戦前、塚の下にお宝があると妄信した人に崩されたことがあったが、当然、お宝なんて出てきませんでした。
| 名前 |
鴫山の姫塚 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0894-62-6416 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 8:00~17:00 |
| HP |
https://www.city.seiyo.ehime.jp/miryoku/seiyoshibunkazai/bunkazai/shi/sekizo/4609.html |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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❶【参考 御姫様の塚 三瓶町誌 1986年】御姫様の塚薄幸(はっこう)な姫を祭った塚である。この塚は間口が185㎝、奥行きが185㎝、高さが140㎝の石済みである。その材料は一つ山を越えた白石海岸から運んできた平青石であり、その一枚一枚に祈りを込めて、法華経が墨で、たまには朱で書かれていた。これらの文字は今ではすっかり消え失せている。姫の死後、村人たちが相談して、これら青石を積み上げてこの祠をつくり、姫の礼をなぐさめたのである。鴫山(しぎやま)出身の曽我鍛は同氏編の「双岩村誌」(ふたいわそんし)に次のように記している。「昔、京都のある公卿さまの御姫様がライ病にかかられたので、うつろ舟に乗せられてながされたそうである。そうして陸地に着いて、のぼろうとなさると、その辺の者が、押し出し、押し出しするので、どうしてもおのぼりなさることが出来なかった。それで、とうとう白石浦に漂着されておあがりになったが、此処でも多くの者から嫌われて追い払われなさって、ついに鴫山(しぎやま)に来て落ち着きなさることになった。鴫山(しぎやま)ではこれに同情して小屋まで立て村養いにしたのである。お姫様は非常に喜ばれて、この村へは永久にライ病の者のできないようにまもってやるといわれ、それから数年後の6月28日にしなれたそうである。死なれるまで、毎日法華経を石に写されたそうである。」塚の側にはソテツの古木があって、これからもきっと守ってくれるであろう。[所在] 三瓶町鴫山(しぎやま)[指定] 昭和45年(1970年)2月1日[種類] 三瓶町指定 民族資料[信仰]❷【参考 古塔および供養塔 姫塚 三瓶町誌 1986年】円形または円形の小さな青石をもって、間口6尺余り高さ4尺5寸くらいの直角にして約1坪くらいの石畳をもって構造されている。宝蓮院殿妙芳大禅定尼明治7年(1874年) 2月16日 再建之とあり。小さな石碑である。[鎮座地] 鴫山(しぎやま)せと丙350(鴫山集落南端にある盆地)