古処山の神秘、絶景登頂へ!
古処山城跡の特徴
古処山の山頂860mからの絶景は一見の価値があります。
ツゲの原生林と岩場が織りなす神秘的なハイキング体験が魅力です。
歴史を感じさせる場所で、新しい発見が待っています。
こしょさん城。秋月氏の本城で古処山山頂(標高859m)一帯に位置する。城跡は古処山頂の西側の北郭群と山頂南側、経ヶ峰付近の南郭群の大きく2つの城郭部からなる。北郭群は岩が露出し平坦面の少なく山頂西側の馬攻めの広場が主郭でないかといわれる。秋月城に現存する黒門はここ古処山城の門といわれる。尾根の北側下部には曲輪、畝上竪堀群と西側の尾根に2つの堀切で防御している。南側下部には水舟といわれる水源がある。南郭群は山頂南側の尾根に細長い土塁のある曲輪があり、さらに南側の経ヶ峰の西側には複数の曲輪群があり経ヶ峰南側ピークを取り囲む畝上竪堀群で防御している。城跡北側の広い無料駐車場のある古処山キャンプ場から登りました。キャンプ場を山手に進むと登山口があり整備された山道を進むと尾根にでた付近が北郭群。登り口の標識は古処山山頂まで50分です。
大蔵党一族の一つ秋月氏の居城です。建仁3年1203年に原田種雄が築城したとされます。しかし平時は麓の杉本城今で言う秋月城(秋月陣屋)付近にあったとされますが、発掘調査では遺構は確認されず、正確な所在地は分かっていません、弘治3年1557年に秋月文種が大友義鎮(大友宗麟)の攻撃を受け、古処山城は落城、嫡男晴種とともに討死しましたが、次男秋月種実他弟たちは中国地方の毛利元就を頼り、落ち延びて数年後に城を取り戻して、島津氏に属して最終的に12郡36万石の大名となり、秋月氏最盛期を築き上げました。しかし天正15年1587年に豊臣秀吉の九州征伐で敗れ、日向高鍋(宮崎県高鍋市)に移封され、これと同時期に古処山城は廃城となり約300年歴史に幕を閉じました。元和9年1623年に黒田氏が秋月五万石を所領して、古処山城の麓の秋月城(秋月陣屋)を築城しました。なお秋月城にある黒門は古処山城の搦手門を移築したという伝承がありますが江戸時代前期の建築と考えられています。
嘉穂アルプスに連なる古処山853mの山頂付近にあります。堀切や曲輪と思われる跡があり、大将隠し、奥の院といった巨石の見どころがあります。遊人の杜キャンプ場520mから古処山を目指し、隣の屛山926mの城跡にも足を伸ばして、戻って古処山頂手前から奥の院下を通ってキャンプ場に下るルートを取りました。感想は脚に自信がない方には余りオススメできません。上り以上に奥の院下からキャンプ場へのルートは急な下り続きで、途中で脚の踏ん張りが効かなくなり往生しました。ロープや鎖に頼らないと下れない坂多数です。なお、北九州市方面からグーグルで遊人の杜キャンプ場を目指しましたが馬見神社の先の林道がキャンプ場方向に通行止めでした。地元の方に先導してもらって(感謝)322号線に戻り、嘉穂総合運動公園の先から山道に入ってキャンプ場に辿り着きました。キャンプ場の直下に駐車場があり、トイレもお借りできました。
嘉穂アルプスに連なる古処山853mの山頂付近にあります。堀切や曲輪と思われる跡があり、大将隠し、奥の院といった巨石の見どころがあります。遊人の杜キャンプ場520mから古処山を目指し、隣の屛山926mの城跡にも足を伸ばして、戻って古処山頂手前から奥の院下を通ってキャンプ場に下るルートを取りました。感想は脚に自信がない方には余りオススメできません。上り以上に奥の院下からキャンプ場へのルートは急な下り続きで、途中で脚の踏ん張りが効かなくなり往生しました。ロープや鎖に頼らないと下れない坂多数です。なお、北九州市方面からグーグルで遊人の杜キャンプ場を目指しましたが馬見神社の先の林道がキャンプ場方向に通行止めでした。地元の方に先導してもらって(感謝)322号線に戻り、嘉穂総合運動公園の先から山道に入ってキャンプ場に辿り着きました。キャンプ場の直下に駐車場があり、トイレもお借りできました。
古処山キャンプ場より屏山を経由して古処山山頂を目指しました。YAMAPのルート履歴から総距離約6.0km、上昇下降距離530m。2時間30分の行程でした。ゆっくりの方ならプラス1時間程度見ておいたほうが良いと思います。あと途中で間違えやすいのが案内標識で、戻ってくる方向は古処山キャンプ場ないし遊人の杜です。他の方角にもルートがありますのでご注意ください。
秋月登山口から登りましたが、結構にきつかった~川横の登山道は壊れるのでつらいですね。でも頂上は広くて気持ち良かったですよ。私の足で2時間以上掛かってしまいました。
自然に恵まれ神秘的でハイキングによく景色ががとてもいいから。
古処山キャンプ場より屏山を経由して古処山山頂を目指しました。YAMAPのルート履歴から総距離約6.0km、上昇下降距離530m。2時間30分の行程でした。ゆっくりの方ならプラス1時間程度見ておいたほうが良いと思います。あと途中で間違えやすいのが案内標識で、戻ってくる方向は古処山キャンプ場ないし遊人の杜です。他の方角にもルートがありますのでご注意ください。
2015年5月27日登拝。山頂に白山宮の上宮があります。岩に『南無妙法蓮華経』『古処大神』と彫られていました。石灰岩(カルスト)のこの山は、白山権現をまつるところからも、白山ともいわれています。山頂には、9世紀ごろから修験道の霊場が開かれ、13世紀のはじめから約400年間は、領主秋月氏の山城がありました。大将隠しや奥の院、馬攻め場、水船などんみ往時がしのばれます。古くから厳しく守られてきた豊富な植物と史跡の混在が古処山の特徴です。まるで庭園のような居心地の良い山頂でした。
| 名前 |
古処山城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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朝倉と嘉麻の境、霧の深い古処山(こしょさん)。その頂に築かれた古処山城は、かつて筑前の名族・秋月氏が天下を夢見た城である。いまは苔むした石垣と、山霧に包まれる静けさだけが、遠い戦国の日々を伝えている。■ 山の城、秋月の拠り所南北朝の頃、すでに山頂には砦があったという。だが城が本格的に姿を現したのは、戦国時代、秋月氏の手に渡ってから。谷を背に、岩を組み、連郭式に築かれた堅牢な山城。敵が攻め上るには難儀する天然の要害で、その威容は「筑前の小京都」秋月の町を守る盾でもあった。■ 天下の荒波に抗う秋月種実(あきづきたねざね)は、豊後の大友氏に対抗し、やがて九州に迫る豊臣秀吉の軍勢に立ち向かった。だが数万の兵に囲まれ、山城はついに落ちる。種実は家を保つため降伏し、日向高鍋へと移される。古処山城もまた、その役目を終え、山に還っていった。𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄見たいものを見るためにはかなり登山をせねばなりません。馬攻めの広場からなら、分からない人でも城跡を感じることが出来ると思います。当の私も城跡に関してはほとんど分かりません。ですが、上記の辺りからならかなり城跡を感じます。整地が見事です。そして、岩が自然の要塞となっているのでかなり見事だったと思います。江戸時代には一国一城令が出されますが、その頃にはここはありません。安土桃山時代には廃城になっています。そしてその後に信仰の色が濃くなっていった…城跡は信仰に塗り潰されたように感じます。ここには調べた限りで江戸時代の磨崖仏が2体存在しています。ひとつは磨崖仏とはいえないかもしれないけれど、もうひとつはかなり見事なものです。英彦山信仰に磨崖仏はありますが、それが英彦山以外で残ってるのは珍しいです。特に筑豊地区には。だから、その貴重さも含めて歴史を感じるところです。