歴史を感じる真福寺で、御朱印を!
光明寺の特徴
歴史ある秩父の光明寺で深い信仰体験ができます。
武甲山を望むロケーションで自然を楽しめます。
秩父三十四観音霊場の納経所として御朱印を受け取れます。
札所二番 真福寺の御朱印を頂きに訪れました。本堂前の仁王様は厳めしく、満開の桜が綺麗でした。こちらのお寺は秩父霊場には含まれていませんが、五色の糸が張られ御開帳していました。これも何かの縁と、お参りしてから真福寺の御朱印の御朱印を頂きました。由緒書を見ると、歴史あるお寺のようです。また、札所二番だけでなく、三番常泉寺 や四番金昌寺も末寺だったそうで、秩父谷随一の格式を持った寺というのも頷けます。武甲山と相対しているので、 山号を向嶽山と呼んでいるというのもおもしろいですね。下記は境内にあった由緒書の内容です。光明寺 所在地 秩父市大字山田光明寺の発祥は、桓武平氏の始祖となった高望王の弟君である恒望王が大同二年(八〇七年)当地で逝去した邸跡に、王の冥福を祈った祈願所の光明庵から始まり、もとは西新木向殿(恒持神社の南側)にあった。はじめ真言系の寺であったが、武蔵七党の一つ、 丹党の関口丹後守が文保二年(一三一八年)に鎌倉建長寺より法性国師物外を迎えて、寺を整備して光明寺と改称した。その後、南北両上杉の抗争に巻き込まれ秩父谷が疲弊したため光明寺も衰微した。 秩父丹党の加治新五郎は、永正十四年(一五一七年)鎌倉建長寺五世春澤香梅を迎えて中興し、 天文元年(一五三二年)寺域を現在地に移し、併せて丹党氏神である丹生明神社を寺の西側へ遷した。その後、小田原北条、甲斐武田、越後上杉の抗争で、また、秩父谷が衰微し、光明寺も衰弱したので、天正十五年(一五八七年)三月三日郷党は、 地元新木番匠屋荒船家の次男で越生竜が谷の龍穏寺十五世住職となった朝谷是暾禅師を迎えて伝法開山とした。これより光明寺は、曹洞宗に改められ連綿として現在に至っている。光明寺は、秩父谷随一の格式を持った寺で、 末寺に真福寺(札所二番)、常泉寺(札所三番)、 金昌寺(札所四番)、福蔵寺、秀林寺の五寺があった。 寺は、南面して武甲山と相対しているので、 山号を向嶽山と呼んでいる。昭和五十六年三月 秩父市。
とても綺麗な境内のお寺様です。秩父三十四観音霊場の2番札所真福寺の御朱印を管理されておられます。光明寺様もお参りさせて頂き、御朱印を拝受致しました。こちらは大同二年に庵から始まった古刹で秩父谷随一の格式を持ち、末寺に秩父霊障の札所を勤めるお寺様があったとのこと。素晴らしい名刹です。御開帳に合わせて真福寺観音堂への参詣の後に伺いました。駐車場がしっかりあってとても訪問しやすいです。お庭が相変わらずとても綺麗に整えられています。御朱印を重印で拝受しました。ありがとうございました。
真福寺の御朱印納経所。仏教の良い言葉が掛けられていました。要約がとても良かったので写真に納めました。
秩父三十四箇所・2番札所の納経所です。御朱印はこちらでいただけます。アジアアロワナが飼育されているのを拝見することができ、圧巻の迫力でした。
真福寺の納経のため奉拝しました。境内もとても綺麗でご住職様にとても心温まる対応をしてくださいました。ありがとうございました😊
秩父三十四箇所・2番札所の納経所です。御朱印はこちらでいただけます。アジアアロワナが飼育されているのを拝見することができ、圧巻の迫力でした。
秩父三十四ヶ所の札所二番 真福寺の納経所のあるお寺です。訪れた時には蓮根の株をお分けしているようでした。金魚の水槽、アヒルの池を見ることができます。トイレ・飲み物自販機があります。
秩父ですが札所ではありません。初秋に芙蓉の花が大変美しい寺です。
歴史の有るお寺と聞いています札所2番の納経所。
| 名前 |
光明寺 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0494-22-1832 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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秩父三十四カ所 第二番札所の納経所 光明寺一番から二番に向かう坂とは反対側に降りるとすぐ着きますが、つづら折りの林道ですれ違い難しいのでご覚悟を。こちらで二番の御朱印を頂きます。とても広い境内で、5月近くには鯉のぼり。水鉢には蓮が睡蓮か、いろんな種類のメダカ?も育てているようで、極めつけはお庭にこちらのお子様の字と思しき看板で、アヒルがいます、とのこと。見に行くと可愛いアヒルがいました(笑)メダカや鯉とどうやって共生してるのかちと気になりました。