天下分け目の関ヶ原、歴史を感じる場所。
関ケ原古戦場 決戦地の特徴
栃木県関ケ原町の歴史探偵で紹介された歴史的な場所です。
甲冑の擦れ合う音が聞こえ、合戦のピリピリした空気を感じられます。
様々な武将が集結した史跡で、歴史好きには魅力的な聖地です。
あの有名な関ヶ原古戦場の中でも、最も激戦となった場所だそうで、関ケ原駅から徒歩20分ほどで、このモニュメント付近に駐車場はありません。ここから徒歩5分の島左近の陣地跡には駐車スペースがあり、そこを徒歩3分登ると石田三成の陣地があり、古戦場を見下ろせます。
比較的最近に作られた資料館で、展示品の多くは複製品です。ただ映像シアターの展示が非常に臨場感があって面白かったです。各武将をしっかりとキャラクター化しており、それぞれの当日の動きを俯瞰図で見せてくれたり、逆に実際の戦場の中で戦っているような映像もありました。光や音動きなどで4Dシアターを見ているような気分になれて面白かったです。関ヶ原と言う東西の中央に存在する地域ならではの、東日本と西日本の文化の違いを取り上げているコーナーもあるのが意外で楽しかったです。実際に本物の資料を見て詳しく学びたい人よりは、ざっくりとここで何があったかを知りたい人にオススメのミュージアムです。
ああー夕焼けが美しいよ。これだけのどかな地も、かつては日本全土を巻き込んだ激戦が繰り広げられたと思うと感慨深いな(T-T)
関ケ原笹尾山交流館から徒歩3分以内、岐阜関ケ原古戦場記念館からは徒歩15分ほど、関ケ原駅からも徒歩20分以内の距離にあります。広々とした田園の中に位置しており、周囲を見渡すと当時の戦場の広大さを感じることができます。ここからは、関ケ原古戦場の石田三成陣地も見ることができます。現地には石碑が建てられており、写真撮影スポットとしても人気があります。案内板には日本語だけでなく英語の説明もあり、外国人観光客にも分かりやすい内容になっています。
2025年10月12日、関ヶ原まつりの日に訪問。さまざまな催しが開催されるみたい💕関ヶ原駅から歩いて15分の場所。鉄砲隊の演武やらおもてなし隊のおもてなしなどが楽しめる🙆時々コスプレ武将もいて楽しい🎶
関ケ原の戦い E東05決戰地-----説明文より-----西軍は総兵力で東軍を上回っていたが、開戦から積極的に戦っていたのは石田三成、宇喜多秀家、小西行長、大谷吉継らごく一部だった。西軍に与しながら、事前に東軍へ内通していた松尾山の小早川秀秋は去就を決めかね戦況を傍観。南宮山(垂井町)の毛利秀元は、やはり東軍に内通した一族の吉川広家に進路を塞がれ、南宮山麓の安国寺恵瓊ら諸隊も動くことができない。小池村に布陣した島津義弘に至っては専守防衛の姿勢で敵味方構わず討ち払っていた。それでも、黒田長政らの猛攻を幾度も押し返した石田隊をはじめ西軍諸将は善戦し、正午頃まで一進一退の攻防が続いていた。桃配山に布陣した徳川家康は、いち早く陣を進めて全軍を指揮したが、この状況に極めていらだったといい、煮え切らない秀秋に向け鉄砲を撃ちかけたと言われている。しかし、秀秋が寝返りを決意し、迎撃した大谷隊は善戦むなしく壊滅、西軍は総崩れとなる。その時ここ決戦地一帯は、最後に残った石田隊や島津隊に押し寄せる東軍諸隊で埋めつくされていたと考えられる。東軍の最後の一押しに石田隊もついに壊滅、島津隊は家康の本陣を横切り敵中突破して戦線を離脱して戦いは終わる。天下分け目と言われる国内最大級の戦いは、わずか半日程度でその幕を閉じた。
道路脇に1台分位の駐車スペースはあるが道が狭いので関ヶ原笹尾山交流館の駐車場を利用したほうがいい決戦地は田んぼの中にありここが関ヶ原の最後の決戦の場所って思う場所。
東京の高尾山から大阪の箕面山を目指して東海自然歩道を歩いています。この決戦地はそのルート上に位置し、辺りは水田地帯。石田三成が布陣した笹尾山がすぐ近くにあり、三成軍が山頂から戦いの様子をまじまじと目撃していたのかと、彼らの心境に迫る思いがしました。
歴史探偵でも紹介されて、流石に関ヶ原の闘いは各陣にのぼりが上がっていて分かりやすかったですけど、天下分けめの闘いを想像すると興奮しそうです。
| 名前 |
関ケ原古戦場 決戦地 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
0584-43-1112 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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石田三成の陣営の近くで、ガレージはないですが、車を少し停めれるスペースはありました。石田三成の陣営ガレージで車を停めて歩いてくるのも良いかも。