千家尊福の歴史に触れる、出雲大社へ。
千家尊福の像の特徴
出雲大社中興の祖として知られる千家尊福の像が展示されています。
国家神道から独立を考えた背景が興味深い彫刻です。
現宮司の祖先に由来する重要な文化財を体感できます。
神様の子孫、現宮司の祖先、出雲大社中興の祖、国会議員やいくつかの県の知事を務めた人物。神話に沿って元をたどれば天皇家の親戚筋。以上、ガイドさんからの話。
立派でした。
千家尊福(せんげたかとみ)氏は明治時代の第80代出雲大社国造(宮司)出雲信仰の興隆に務めたが、明治政府により神官の布教が禁止されたため国造の地位を弟に譲り、自らは神道大社派(現在の出雲大社教)を結成して布教を継続した。当時の出雲国造は中国・四国の広い地域で生き神様と見られており、国造が触れた物にも神の力が宿ると信じられていたため、布教の旅の道中、国造が座った敷物や入浴した風呂の湯を人々が持ち帰ったなどの話が伝わっている。明治21年、伊藤博文に誘われ政界に入り貴族院議員、埼玉県知事、静岡県知事、東京府知事、司法大臣(西園寺公望内閣)を務めた。年の始めのためしとて~で始まる唱歌「一月一日」の作詞もしており、出雲大社神楽殿前に歌碑がある。
2020/7/23来訪。少し奥まったところにあるので、わかりにくいです。参道を歩いているだけでは気づかないので少し道をそれてみましょう。
「千家尊福」(せんげたかとみ)は出雲大社の第80代(1872年-1882年)の宮司を務めていましたが、国家神道との宗教的見解の相違を知って、神道事務局から独立して教化活動をする必要があると考えました。そのため、1882年(明治15年)に出雲大社の宮司を辞職して弟の千家尊紀 (せんげたかのり)に国造と宮司を譲り、自身は出雲大社教会を創始して神道大社派を設立しました。神道大社教管長(1882年-1888年)の時には、精力的に全国を歴訪して布教に専念されています。その後、男爵の称号を与えられています。1888年には伊藤博文の推挙で元老院議官となって教管長職を辞職、その後さらに、貴族院議員、埼玉、静岡、東京の知事、第一次西園寺内閣の司法大臣、東京鉄道株式会社社長などを歴任されています。また、「一月一日」という有名な唱歌(年の〜始めの〜♪)の作詞もしていることから、詩人や歌人としての才能も発揮されています。
誰の像かよく解らないジジイでございます。
| 名前 |
千家尊福の像 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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