戊辰戦争の歴史を感じる墓参。
野辺地戦争戦死者墓所の特徴
戊辰戦争の歴史を感じられる、静かな墓所です。
弘前藩の戦死者を祀った特別な場所が魅力的です。
地味さが逆に趣を引き立てる史跡としておすすめです。
戊辰戦争での弘前藩での戦死者を祀ったお墓があります。
戊辰戦争の中の1つ野辺地戦争がこの辺で行われた。津軽軍が夜襲を仕掛けるも南部軍の反撃により撤退。多くの死傷者を出したそうです。戊辰の際に青森県で死者がでるほどの戦いが展開されていたのを知らなかったので驚いた。
地味ながら、戊辰戦争史跡。
| 名前 |
野辺地戦争戦死者墓所 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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2021年8月8日に墓参しました。慶応4年から明治元年1868年にかけて戊辰戦争が戦われました。明治元年9月22日に野辺地戦争が起こりました。奥羽越列藩同盟から離脱し、官軍側になった弘前藩は、180名の藩兵で盛岡藩領に侵攻し、馬門村を焼き討ちして、野辺地の代官所に迫りました。守備していた盛岡藩と八戸藩の反攻に合い、敗戦撤退して終結します。弘前藩兵で亡くなられた27名の方々をこの地に葬りました。この野辺地戦争の前に盛岡藩は、秋田藩に侵攻し、二ツ井で退却和議停戦となり、実質的には、官軍に降伏したことになっていたようです。弘前藩や黒石藩は、官軍側に異心のないことを表すために軍事行動を取ったと伝えられています。新政府には、私戦とみなされ、双方に咎めは無かったそうです。