飯山城址で桜と歴史を満喫。
飯山城址の特徴
歴史好きにはたまらない、戦国時代の名城跡の風情が感じられます。
満開の桜の下でお花見弁当を広げることができるスポットです。
飯山城址では、復元中の城や美しい石垣を楽しめる場所です。
去る4月18日(土)に、飯山城址の花見に参りましたが、ソメイヨシノ等は終わっていました。しかし、しだれ桜が満開でとても綺麗でした。また、飯山城址公園には家族連れの方々がいらっしゃっていましたが、ここで遊んだり、ピクニックするにはもってこいの場所です。私は飯山城址公園のベンチに座り、お店で買ったバナナボートを食べながら新緑の美しさを鑑賞しましたが、ソメイヨシノが満開の頃に再び訪れたい素敵な場所です。
ちょうど桜が満開でした!城址も以前よりキレイに整備されていた。
飯山城の跡になります。国道を走って向かうと周囲より少し小高い丘になっているのですぐわかります。現在では公園や神社になっており、公園の無料駐車場があるのでありがたい。石垣や土塁跡がいい感じで残っております。古くは謙信と信玄の最前線であったと思うと感慨もひとしおです。
2025/09/04登城。誰もいませんでしたが、遺構散策楽しみました。googlemapで行ったら奥に案内されました…駐車場に案内してよ〜
小高い山です。本丸跡に神社が祀られていますが、お城らしき建物はありません。子供用遊具や休憩所もあり、綺麗な公園として整備されています。信濃と越後の間の要地にあり、上杉謙信が武田氏の北信濃侵攻に備えた軍事拠点とのこと、
江戸時代に飯山藩の藩庁があった飯山城。現在は城跡が公園として整備されています。本丸跡には葵神社が鎮座しています。城の遺構として目立つのは石垣と土塁、それに復元された城門くらいですが、あちこちに建つ案内板によって、城の構造をおおまかに知ることができます。公園では週末を中心にイベントなども開かれ、賑わっているようでした。
6月の初めにこちらの飯山城址に寄りました。商店街から直ぐの場所にあります。上杉謙信が信濃侵攻の戦略拠点として築いた城で、現在は復元された門や土塁、石垣などが残っており、階段式に郭を配した「後堅固の城」で、12年間の合戦にも信玄は攻め落とせなかったとそうです。その後、上杉から武田へさらに織田へ再び上杉へとめざましく変わったお城になります。飯山の桜の名所でもあり、4月中旬~下旬にかけて、飯山城址さくらまつりが開催されるそうです。
春は桜、夏は新緑やアジサイ、秋は紅葉、冬は雪景色と、四季折々の景観が目を楽しませてくれるスポットです。公園としても素晴らしいのですが、曲輪や枡形虎口といった城としての遺構が原型を留めた良い状態で残っていたり、位置こそ違えど城門が移築復元されているので、城好きの人にとっても見応えのある城趾だと思います。
11月の北信州ハーフマラソンの時に行きました。小高い丘の上で見晴らしが良く神社もあります。季節によって桜や紫陽花が楽しめるステキなスポットです。
| 名前 |
飯山城址 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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飯山城址 (長野県 飯山市)2026年4月16日 桜情報では「満開」でしたが、ソメイヨシノは ほぼ終わっていました。枝垂れ桜(ベニシダレ? ヤエベニシダレ?) は見頃で、平日だが まずまずの人出。西曲輪付近が広場になっていて、屋台が出ていました。ライトアップは4月30日までらしいです。ただ、この広場周辺の桜は終わっているので やや気の毒。よく咲いている枝垂れ桜は弓道場付近です。飯山城の記録が残るのは13~14世紀から。泉氏→高梨氏→上杉氏 と支配が代わり、上杉謙信の時代 1564年に 現在遺構が残っている大きな縄張りの城になった。その後、甲越同盟で武田が支配した時期もあったが すぐに武田氏は滅亡。織田、豊臣の時代を経て 江戸時代は永井、青山、本多 ら徳川配下が治めた。幕末の城主は本多氏だったが 飯山藩は新政府側についた。明治維新では飯山戦争があり、衝鋒隊(旧幕府軍)と飯山藩(新政府軍)が衝突。飯山藩と松代藩(新政府軍)に挟まれた衝鋒隊は飯山城下に放火し敗走。飯山城下は2日間燃え続けた。衝鋒隊の犠牲者は40人、松代藩は1人、飯山藩も1人が犠牲になった。現在の遺構は 本丸から二の丸にかけての石垣や土塁。城門は再建。全体的には公園として市民の憩いの場になっています。