身重の妻が祈る、子宝の墓。
小宰相局の墓の特徴
平教盛の妻、小宰相のお墓があり参拝者で賑わっています。
鳴門の海沿いに位置し、風景が美しくてリラックスできます。
急勾配の階段を上ると、避難所としての機能も備わっています。
平清盛弟、平教盛の長子通盛正妻小宰相の墓大阪からレンタカーで手前淡路島にも小宰相お局平家落人の墓在り、一ノ谷合戦で平通盛は討死、勇猛な弟教経も東鑑で討死と書かれてますが平家一門は安徳天皇と恐らく淡路島経由で屋島に退却中小宰相は身重ながら身投げ、当時夫の死後後を追った例は殆無く貞節を称える人々は多く参拝者が訪れましたが、兵庫県余部には子孫が墓石を建て検索すると広島県福山市にも墓所が取敢えずここ鳴門では婦人が祈ると子宝を授かるという事で髪留と賽銭が墓石前に有り、自分も兄貴の子供にマンション譲りたくないので小銭で祈りました、駐車場スペースは狭く路肩も有ったので海岸線スペースに、海沿いで風景明媚でした。
すぐ下まで車でゆけます。それほど高所ではないので、恐れずに登って見てください。小鳴門海峡が見下ろせます。平家物語や謡曲で有名な悲恋なのですね。看板を見るまで知りませんでしたが、眼下の海に身を投げたと聞くと心に迫るものがあります。
階段が急ですが、上っても5分もあれば上がれると思います。小鳴門海峡や撫養城が見えますね。
実際は上まで上がっていませんが、避難所としての機能も有している場所ですね‼️
以下も以上もないですか。
高くはないのですが、急勾配の階段を登らないと行けない場所です。
| 名前 |
小宰相局の墓 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.1 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
階段を登り、ガードレールに沿って山道を少々歩きます。以下、傍らの説明板より。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◎小宰相局の墓寿永3年(西暦1184年)2月、平家の大将平通盛[みちもり]の恋女房小宰相局[こさいしょうのつぼね]は、一族とともに摂津の一の谷から讃岐の屋島へ落ちて行く道すがら、愛する夫が源氏のために一の谷において討ち死にしたと聞き、亡き夫への思慕のあまり小鳴門の海に身を投じて19の花を散らした、附近の人々は、この薄命にそぞろ哀れを感じあつく霊をとむらった。ここに小宰相局の晴衣をかけた伝えられる衣懸[きぬかけ]の松があった。小宰相局は懐妊の身であったので、子のない婦人がこの墓に祈れば効験があると伝えられている。鳴門市◎謡曲「通盛」と小宰相局[](こざいしょうのつぼね)の墓謡曲「通盛」は、阿波の鳴門で一夏を送る僧が、平家の跡を弔うために磯山で読経していると、沖合に出ていた漁翁と女とが御経を聴聞しようと舟を岸に漕ぎ寄せて来た。その蘆火のもとで読経を終り、この浦で戦死した人の事を尋ねると、二人は小宰相局が夫通盛の戦死した事を聞いてこの海に入水した事を物語り、二人ともに波間に消えた。僧は読誦して二人の回向をしていると、やがて通盛と小宰相局の霊が波間に現われ一の谷の合戦の様を語り、法力によって成仏得脱した事を喜ぶ。という曲である。局[つぼね]は夫の死をここ土佐泊港で聞き、悲痛のあまり渦巻く海に身を投げ19歳の生涯を閉じた。付近の人々はこの薄命に哀れを感じ、厚く霊を葬むる。今も一人淋しく海面の見える小高い処に墓がある。謡曲史跡保存会。