滝川一益が振るった軍配山。
軍配山古墳の特徴
田んぼに囲まれたロケーションで、自然の中にポツンと立つ古墳です。
滝川一益が本陣を置いた歴史ある地で、神流川合戦の舞台でもあります。
現存する貴重な4世紀の円墳で、登り口には小さな石に掘られた文字があります。
2026/1/6神流川の戦いで滝川一益がここで軍扇を振るったと思うとワクワク。頂きに登ると今でも遠くまで見渡せる。歴史を感じることのできる素晴らしい場所だ。
玉村町にある軍配山。平野の中に不自然にある小山だと思ったら古墳だったのですね。説明書きの看板によると、この地域を治めていた豪族のお墓との事。古墳の規模や副葬品からかなりの支配力を持っていた事が想像されるそうです。また、織田軍18000人と、北条軍50000人が戦った関東最大の野戦と言われる『神流川の戦い』では滝川一益が本陣を置いたとされています。滝川一益と同じ景色を眺める事が出来た事は歴史好きとしては感慨深い思いです。合戦を調べると北条方は当主氏直、氏邦、氏照や大道寺政繁などが参陣していた事を考えると北条勢のこの合戦への本気度が伺えます。劣勢の滝川一益の心境、信長公が本能寺にて討たれた報告を受けた際の事を考えると歴史的転換点にこの地が関わっている事も興味深いです。皆さんも頂上から滝川一益が眺めた景色を眺めてみて下さい。
周辺が一面田んぼなので、ロケーションが素晴らしい。高さも結構あるので、登ってあたりを見渡すと絶景である。遠くに赤城山も綺麗に見える。
安土桃山時代初期の天目山の戦い(1582年、山梨、織田・徳川連合軍vs武田軍)で、連合軍が勝利し、織田信長公臣下の滝川一益が上野国を拝領して、厩橋(前橋)城へ入城。間もなく本能寺の変が突発して、3ヶ月後に滝川一益軍vs後北条軍が神流川の河原で対峙する…果たして滝川一益公はこの墳頂で何を思ったのだろう…。ロケーションが素晴らしい。墳丘のてっぺんにはマツ2本、サクラ1本、大きな石碑、小さな石祠などがある。古墳は、4世紀後半に築かれた円墳(竪穴式石室)で南西側が削平されている。別名を御幣山古墳と言い、石室入り口はなく、鏡や勾玉などが出土している。案内板あり。2026/1/12
田んぼの中にあるポツンとある縦穴式の円墳で古墳の上には石碑と松の木、祠があります。古墳の上からの眺めはいいですよ。出土品は上野の国立博物館に納められています。
自然にできた小山と見紛うような大きな人造物です。ここまでの大きさ高さがあったからこそ、古戦の陣地に使われたのでしょうし、開発削平するには労力多ということで?残されたのでしょうか。いずれにしても、実際に登ってみると、埋葬者の権力の大きさが想像できます。
神流川合戦の際、滝川一益がこの山に本陣を置き、軍配を振るったのが謂れだそうです。古墳の脇まで細い舗装路がありましたが、小さな車でないと、農地に落としてしまいそうで不安です。近くの道の駅で、ここの名前がついたラーメンを食べることができます。
普通に星5個上げてもいい位の古墳の中の古墳です😀一目で古墳と分かる位味のある外観風格。なので一度行きたいと思ってた。とても立派な古墳様でしたー。ただ駐車場🅿️は正面にないので通りの道沿いに駐車しました😅入口の道は軽自しか入れない?狭いです。正面の道もすれ違い出来ますが得意の愛車の強力ライト🔦アップ(ハイビーム)で撮影ーと思ったけど我らが愛車の日産プレジデント(5M数十CM)の巨大な車体は正面向けずしかも入口の道も狭くて断念😂距離的に50M位あったので最終奥義のスマホ📱の結構強力ライトの撮影手段のみ。歩いて相変わらずの夜間訪問だったので暗闇の古墳様に対面ー。勿論毎回の一人貸し切り状態ー。やはり夜間の古墳巡礼は最強です😄やめられないー😆山に登ることも可能でした。周囲一面の長閑かな田園の真ん中に夜中悠然と居座る雰囲気に貫禄すら感じました😀
平地の真ん中にポツンとあって、可愛い。てっぺんからの眺めがいいです。
| 名前 |
軍配山古墳 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0270-30-6180 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
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竪穴式の円墳で古墳時代前期(4世紀)に作られたと推定されている軍配山古墳を見学。古墳頂上から眺める浅間山と赤城山が綺麗でした。当時の人達も同じ様な景色を見ながら生活をしていたのでしょうか。ちなみに正式名称は御幣山古墳との事。神流川合戦に滝川一益がここに陣をしき軍配を振るったというところから軍配山と付けられたと伝えられています。