尾崎放哉に浸れる南郷庵。
小豆島尾崎放哉記念館の特徴
小豆島にぴったりの絵柄が気に入りますよ、落ち着いた場所で放哉作品に感謝。
尾崎放哉を知るために訪れるべき、特別な静けさと魅力が広がっています。
自伝小説『海も暮れ切る』の余韻を感じる、思い出深い訪問が叶う場所です。
自由律俳句で有名な尾崎放哉ゆかりの地。実際に住んでいた場所からは少し移設しているとのことだが、それでも物憂げで侘しい空気を十分に味わえる。
隣にあるお墓にも寄りました。
自由律俳句で有名な尾崎放哉が亡くなった南郷庵をそのまま同じ場所に同じ形で再現し、記念館としています。放哉が残した「入庵雑記」にもある石碑が当時と同じ場所にあり、放哉ファンは胸がいっぱいになります。
自由律俳句「咳をしてもひとり」で著名な尾崎放哉が最期の8か月を過ごした庵で、南郷庵と書いて「みなんごあん」と呼ぶそう。海が見えるところを望んでは、かつては南郷庵の北側の障子を開けると塩田が見えたとも。咳が出るのは結核を患っていたためで、ここに入居してから書き始め、没後屏風に仕立てられた『入庵食記』には日々の、芋のお粥といった食事と、ままならない病状を記したもの。その「食と闘病」を綴った日記はもはや限界の生そのものであり、却って壮絶。若き放哉が恋人との結婚を親類に反対され、心中しようとしては遂に恋人にも拒否され、彼女が去ろうと人力車に乗って幌を降ろすさまを詠んだ句、「わかれ云ひて幌おろす白い指先」も印象的で、見つけたのは放哉のことを書いた吉屋信子である。その後も色々な作家が放哉のことを書いているようでそれぞれ自分に重ね合わせるものがあるのだろう。
尾崎放哉の作品について何一つ知らずに訪れましたが、どんな人かということを知ることができました。人生とは、人間とは、色々考えさせられました。
小豆島にピッタシの絵柄です。
俳句は文学でも文芸でも何でもない!無意味である。俳句の末期に始まった自由律俳句はその頂点に立つ。その終末は青木此君楼の二音「かお」「いろ」などを頂点とする。正一や秀雄も自由律の権化である。宗艦・守武に始まる俳諧が地に落ちた最頂点は矢数俳諧の西鶴である。一昼夜で23
私は先日、この横の小道で散歩を楽しんでいたが迂闊にも尾崎放哉さんの墓のそばを横切った事を知りませんでした。
吉村昭さんの『海も暮れ切る』という、尾崎放哉自伝を描いた小説を読んでから訪れると感慨もひとしおだったと思いますし、小説で言及されるゆかりの地も訪れることができたと思います。こじんまりとした庵ですが、魅力がありました。
| 名前 |
小豆島尾崎放哉記念館 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0879-62-0037 |
| 営業時間 |
[日] 9:00~12:00 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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資料が豊富で、尾崎放哉の著作はほぼあるんじゃないかな?同じ自由律俳句の種田山頭火の資料もあります。