桜並木と廃線跡の緑道散策。
北緑地(立川飛行機専用線跡)の特徴
美しい桜並木が広がる、春に訪れたい場所です。
ランニングやサイクリングに最適な緑道があります。
立川市の芋窪街道と繋がる緑道の一部です。
2024年5月訪問北第一公園〜北緑地〜西町緑地〜栄緑地と続く「立川飛行機」などへの線路跡です。北緑地の入り口にあるアーチや藤棚は古レールで造られており、中には「皇紀2605年(西暦1945年)」の刻印もあります。皇紀2605年で調べると「インドネシア独立宣言」が皇紀によって記されているとあり、歴史の重みを感じます。話は脱線して、インドネシア独立宣言を発したのはスカルノとハッタですが、スカルノのもとに嫁いだのが有名なデヴィ夫人です。
栄緑地と繋げて細長い公園が続いています。立川飛行機専用線の廃線跡です。歩鉄で訪問しました。かつては立川駅の東に貨物駅があり、そこから線路が延びていました。緑地は都道34号のマクドナルドが見えると終わっています。かつてはこの先で分岐して一番長い線路は立川市役の裏を通って今の昭和天皇記念館の辺りまで引かれていました。中央線遠征には中島飛行機引込み線などの廃線跡が公園化されていますが、細かく曲線を付けられていて、軌道敷らしさがありません。境界に鉄道柵があったので写真あげておきます。
宅地造成で自然が破壊されつくされた町に作られた人工の自然、緑道。
水路跡と誤解されそうな、実は廃線跡の緑道。設置時期は不詳ながら、今の自衛隊東立川駐屯地に1941年に設置された帝国陸軍獣医資材廠に引込線が作られ、その後1944年前後に立川飛行場への分岐、延伸がなされたものと思われます。案内表示は一切ないが、歴史を唯一残しているのが入口のアーチと藤棚に使用されている貴重な古レール。なお、ここで使われていたものとは限りません。※確認したレール刻印の一部を記録に残します。37 A 丸SマークS 1954 IIIIII OH (37kgレール 八幡製鉄1954年6月製造)37 丸マーク S 2605 I (この頃は皇紀年の表記にて、すなわち1945年1月日本製鉄製造)1917 OH(詳細不明 時期的には官営時代の八幡製鉄か?) など。
桜並木が非常に綺麗です。その他のシーズンも清掃、木の手入れなどが行き届いており、憩いの場です。歩行者の並走による通行妨害、自転車のスピードの出し過ぎには注意しましょう。
昔は川が流れていたのかな?素敵な緑と花の小径です。
戦前に立川飛行機まで物資を運搬した路線の廃線跡で、それを緑道に転用した場所です。元々立川飛行機を含む周辺の土地は、陸軍の基地でした。戦後アメリカに基地を接収された時には、アメリカの基地への運搬用に使用され、日本に返還されてから廃線になりました。入口の棚は、古レールで造られているだけでなく、このレールの製造年が皇紀で記載されていて、1946年の製造です。鉄道境界標と思われる杭には、「立飛企業」と刻まれています。廃線マニアには、かなり興奮ポイントが多い緑道です。
桜の開花はまだです、
ランニングやサイクリングに最適な公園のある道路です。(原文)It’s a road with park which Is great for running or cycling !
| 名前 |
北緑地(立川飛行機専用線跡) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
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いつもお散歩でお世話になっています。公園に出るあたりのお宅の奥さんが、いつも緑道側の花の手入れをされていて、季節に応じて楽しませてもらっています。ありがとうございます。