平将門公ゆかりの静謐な神社。
将門口ノ宮神社の特徴
平将門様にゆかりのある、歴史を感じる神社です。
創建年は不明ながら、千葉氏による建立が魅力です。
静かな散歩道に位置する、小さな古びた神社です。
平将門公と名主木内(佐倉)惣(宗)五郎が合祀されている神社です。伝えによると木内家は秀吉の小田原攻めに後北条側の千葉氏家臣として戦い敗れ帰農したそうです。平将門公とは同族の関係から藩主堀田家が合祀したのかもしれません。徳川家が関東に来てから江戸の水害を無くす為に江戸川を関宿で利根川へつなぎました。その為か、利根川とつながる印旛沼付近に水害が起きました。惣五郎が名主の地域も無関係では有りません。印旛沼付近の水害を防ぐ為に印旛沼から東京湾への水路を開削したのが新川花見川です。同時に印旛沼を干拓し食料(米)を増産して江戸へ運ぶ水路の役目も有りました。工事は莫大な費用が掛かります。佐倉藩が重税(年貢)を課した理由の一つかもしれませんね。名主惣五郎の悲劇は徳川家(江戸)の犠牲でも有るかもしれません。千葉を犠牲にして東京ファーストの様なことです。何故かこの口ノ宮神社近くに徳川家康公の父親松平広忠公の分骨(歯)を供養する清光寺があります。因果関係はわかりません。
宗吾旧宅で17代目のご当主に勧められ、将門口ノ宮神社 に来ました。境内の石碑によれば、平安時代の関東の英雄である平将門公を祀るために同族の千葉氏によって建立された神社であり、江戸時代(1754年)には義民として知られる佐倉惣五郎が佐倉藩主・堀田正信によって合祀されたそうです。なお、石碑に記される詳しい由緒は以下の通りです。大佐倉将門口ノ宮神社再建の碑将門神社 平親王将門大明神平の小次郎将門は平安の時代坂東の地に桓武六代の帝系として生まれました。一族の横暴と都で栄華を極める藤原摂関政治のもとに苦しむ民衆のために決起し瞬く間に坂東一円を治め平親王と名乗りましたが志半ばにして非業の最期を遂げたと言われています。死後多くの民衆から坂東の英雄として追慕する声が高まり各地に将門神社が建立されました。大佐倉の将門神社の創建は定かではありませんが桓武平氏の同族である本佐倉城主の千葉氏により建立(敷地三百坪)されたと伝えられています。石の大鳥居は三百五十年前佐倉藩主堀田正信公により奉献されたと記録されています。奥の宮の桔梗塚は将門の愛妻の桔梗の墓といわれていますが将門を偲びこの地には桔梗の花は咲かないと言い伝えがあります。口ノ宮神社 口ノ明神江戸時代高い税に苦しむ百姓を救うため将軍に直訴した佐倉惣五郎は義民として映画や芝居になり広く知られています。惣五郎百年忌に際し(二百五十年前)藩主堀田正亮公により口ノ明神に祀られ宝珠院が別当として祭祀を行ない佐倉藩の保護の下に下総一円の領民に崇敬されてきたといわれます。大正八年本社拝殿等を失火により消失しましたが地元大佐倉の氏子世話人有志により惣五郎の命日といわれる九月二日には宮なぎ行事として毎年供養と祭祀が行われています。石の大鳥居は佐倉市の指定文化財として観光マップのコースに入っています。二十一世紀を迎えたのを機に氏子相計り八幡宮御神木を素材として消失した社殿再建を画し大佐倉将門町崇敬者の格別の御奉賛の下にめでたく落慶を迎えました。平将門、木内惣五郎の偉業を讃え民衆とともに歩み身を捧げた生きざまに強烈なロマンと共感を甦らせこの将門山の歴史と文化遺産を後世に継承したい。偉大な二人の先人の土に生きる魂を受け継ぎこの村は生産基盤整備事業の千葉県のパイロット地区として全国に先駆け近代農業の基礎を確立しました。この事業の完成のために心血を注いで頂いた氏子役員を始め多くの奉賛者に熱い感謝をこめこの碑を建立する。平成十三年七月二十二日大佐倉氏子総代 荒川重雄 撰】
将門の父、平良将の館があったとか、将門生誕の地であるとかの伝承が残されている佐倉市将門町。京成線「大佐倉駅」から細い道を登っていくと数軒の集落があります。どのお宅もお花を丹精されていて、故郷の村を愛していることがよくわかります。その中心にあるのが、信仰を集めているであろう「将門口ノ宮神社」です。住所は、将門口ノ宮神社と大佐倉八幡神社の境内だけが切りとられるように佐倉市大佐倉。後の世の市政の都合でしょうか。志なかばで世を去りなが、土地の民衆に愛された将門の人柄を偲ばせる史跡、追悼施設でもあります。手入れが行き届いていて、暗い雰囲気はありません。
令和4年1月26日にお詣りしました。車を停められるスペースは、あります。将門様と佐倉惣五郎様を祀った神社です。佐倉の摩賀多神社のホームページには、本殿の後ろには、桔梗塚があると記載されていました。静かにお詣りできました。
佐倉にある平将門様のゆかりのある小さな神社です。神社近くは道路は狭いです。小さいお社ですが平将門様のゆかりのある神社が千葉にあるとは知りませんでした。参拝できて良かったです。
2021年6月12日に参拝させて頂きました。周辺の道路は狭いので気をつけて下さい。300年以上前の石鳥居、200年以上前の手水鉢歴史ある神社です。
歴史を感じさせる大木が多くあり日陰になっていて暑い時でも涼しかったですが蚊がいました。周囲を土塁のようなものに囲まれていましたが低いものでした。本殿の裏に祠がありました。周辺の道路は狭いので注意が必要だと思いました。近くに少しだけ歩くと桔梗塚があるのでそちらも訪れてみてはどうかと思います。
祭神は平(親王)将門公。平(親王)将門公は桓武平氏高望王流。関八州の覇者。貧民の為に立ち上がった英傑。桓武六代の帝系。現代においての高望王流の同族で代表的な名前としては…千葉さん(上総氏流)、丸さん(初期に平から直接改名)、東條さん(初期に平から直接改名)、三浦さん(初期に平から直接改名)、上総さん(初期に平から直接改名)、相馬さん(千葉氏流)、原さん(千葉氏流)、土肥さん(千葉氏流)、小早川さん(千葉氏・土肥氏流)、武さん(三浦氏流)、佐原さん(三浦氏流)、朝比奈さん(三浦氏流)、葦名さん(三浦氏・佐原氏流)、鎌倉さん(初期に平から直接改名)、長尾さん(鎌倉氏流)、秩父さん(初期に平から直接改名)、江戸さん(秩父氏流)、稲毛さん(秩父氏流)、豊島さん(秩父氏流)、畠山さん(秩父氏流)、小山田さん(秩父氏流)、河崎・川崎さん(秩父氏流)、渋谷さん(秩父氏・河崎氏流)、等々。あ~あとは超の付く有名な方だと長嶋さん(千葉氏流)。ジャイアンツの長嶋茂雄さんは佐倉市出身で、この出自だと過去に言っていますね。(息子の一茂さんは「ウチは源氏の出自だ」とテレビで言っていましたが…)これらの皆さん元々は平安・鎌倉大名や戦国大名の方々ですね。武家平氏の流れです。これらの方々はきちんと聖地巡礼をして挨拶に来ましょう。一門のアイコンですからね将門公は。
近くに八幡社や桔梗塚がある静かな散歩道にあります。
| 名前 |
将門口ノ宮神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
〒285-0041 千葉県佐倉市大佐倉1929−1 口之宮神社 |
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将門公ゆかりの神社さんです🎵鳥居は堀田正信公奉納との事です🎶