歴史好き必見!
吉川元春の墓の特徴
毛利本家を支えた吉川元春の歴史が感じられる場所です。
文武両道を体現した元春と元長の親子のお墓が静かに佇んでいます。
歴史好きには特に魅力的な魅力を持った墓地です。
「北広島町:吉川元春の墓」2024年11月にバイクツーリングで立ち寄りました。天正14(1586)年に死亡した元春と、翌天正15(1587)年に死亡した元春の長男元長の墓で、海応寺の元春居館跡の奥(旧海翁寺境内)にあります。他にも元長・夭折した末子(4男禅岑法師)のものとされる墓所もあります。吉川元春は、自身の居城・日山城の西南の山麓、志路原川沿いの河岸段丘の上に1583年ころから館を建築し始めました。その3年後。天正14(1586)年、豊臣秀吉は輝元を通じて元春の出陣を要請し、元春はすでに隠居の身でしたが九州平定に参加しました。しかしこの頃、病で身体を蝕まれていた元春は、出征先の豊前小倉城二の丸で死去しました。享年54でした。その父親を追うように、長男・元長も天正15(1587)年5月、出陣先の日向で病に倒れ、6月7日に日向都於郡で病死してしまいます。なんと享年40でした。長男の元長の死後に当主となった三男・広家が、1591年に当主となりましたが出雲に移転したことによって館としての機能を失ってしまいます。そして1600年に吉川氏が岩国へ移封され、完全に廃墟になりました。2人が眠る墓は、館跡の奥にあります。一時荒廃していましたが、文政10(1827)年に修復され玉垣・石燈が作られ、明治41(1908)年に改修され現在の形になっています。
歴史好きにはたまらない。
1586年に死亡した元春と翌年に死亡した元春の長男元長の墓旧海翁寺境内にて眠る因みに子孫はあの吉川晃司…
◎戦国武将「吉川元春」の墓毛利元就の次男立派な墓所です。
毛利本家を支えた文武両道の吉川元春 元長 親子のお墓です。
| 名前 |
吉川元春の墓 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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吉田郡山城の毛利元就のお墓によく似てます。