景色一望、諏訪湖の神々を巡る。
若宮神社の特徴
旧甲州街道沿いの坂を登った先に位置しています、アクセスも良好です。
地元住民からのおすすめもあり、訪問者に人気のスポットです。
下諏訪町の秋宮界隈と合わせて楽しむことができるスポットです。
旧甲州街道沿いを歩いて、坂を登った先にありました。下諏訪や諏訪湖が一望でき、景色が良いです。また、静かな環境で雰囲気も落ち着いていました。
諏訪郡下諏訪町字若宮下6979番地3祭神:建御名方命の御子神である、建御名方彦神別神(たけみなかたひこかみわけのかみ)外13柱の神と天照皇大神を合わせ祀る。例祭:9月29日「おくんち」(現在は9月最終の日曜日)ご鎮座の起源は詳らかでないが創祀は古い。『和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)』(924年)に諏訪七郷の一つに「土武(とむ)」があり、若宮神社はその内の旧富部村の産土神とされ、「若宮さま」と親しまれ信仰されている。寛文4年(1664年)の『御枕屏風(おまくらびょうぶ)』には、「志やうち川」、「とん遍」の名称がみえ、山の中腹に若宮さまであろう赤い社が描かれている。富部の里は湖と山、自然の恵み豊かな地であり、甲州道を往来する人々で賑わった。その道先は数百メートルで中山道と合流し江戸時代に大繁盛した下諏訪宿となる。大正3年4月建立の社殿は、百年の間風土とそこに生きる人々の幸を見守ってきた。平成28年丙申年は御柱祭。この度氏子・崇敬者のご奉賛により、新たに拝殿を造営した。境内は神気横溢。(平成28年6月吉日 若宮神社の由緒書きの説明板より)
下諏訪町の秋宮界隈を取材していると、近隣住民から「若宮神社と再建された甲州街道を訪ねてみると面白いよ」と教えてもらいました。そこで、五官とか本郷、関谷という地区の奥の山裾を探訪してみました。諏訪湖の北東方面には断層崖が横たわっています。中央構造線と糸魚川静岡構造線とが交差するこの地は、太古に大きな大地の変動を経験したとか。断層崖の急斜面に沿って、中世には鎌倉街道が走っていました。今、その鎌倉街道が、若宮神社から山裾を巻くように1キロメートル余りの遊歩道として再現されています。工事は現在も進行中で、遊歩道の道のりは延びていきそうです。再現された鎌倉街道の起点近くに、近年、若宮神社がこれまた再建されました。諏訪大社様式の神明造りの立派な社殿で、かなりの費用を要したものと見られます。ここは、本郷から五官、関谷という地区の裏手で、諏訪盆地と湖を見おろす高台で、かつては地元の人びとは長い階段を登って若宮社にお詣りしたとか。若宮とは若い神を意味するが、ここでは諏訪大社の祭神、建御名方神たけみなかたのかみの神子たちを祀っています。それは、建御名方彦神別命(たけみなかたひこがみわけのみこと)、伊豆早雄命(いずはやおのみこと)、妻科比売命(つましなひめのみこと)、池生神(いけのおのかみ)、須波若彦神(すわわかひこのかみ)、片倉辺命(かたくらべのみこと)、 蓼科神(たてしなのかみ)、八杵命(やきねのみこと)、内県神(うちあがたのかみ)、外県神(そとあがたのかみ)、大県神(おおあがたのかみ)、意岐萩命(おきはぎのみこと)、妻岐萩命(つまぎはぎのみこと)という13柱です。これに加えて天照皇太神を合祀しているとか。この神社のすぐ下に「五官」という地籍がありますが、それは大祝金刺氏(神官)に仕えた五官家(神官補佐役)がもともと居を構えていた場所だと言われています。その五官家が氏族の神として祀っていたのが、上記13柱の若宮でした。彼らは高台に若宮社を建立し、かつまた屋敷内にも祠を設けて祀っていたのでしょう。新しい若宮神社社殿が再建されるまでは、かつての社殿はなく小さな四阿だけが残されていたそうです。しかし、若宮神社は下社秋宮と下諏訪の歴史にとって非常に重要なものであることが再確認されたため、この地区が資金を集めて社殿を再建し、参道石段を修復したのです。
| 名前 |
若宮神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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景色もよく諏訪湖が一望できる。休憩場もある。トイレは無し。旅の無事を祈り参拝しました。