樹齢250年杉と八国見山。
多加意加美神社の特徴
樹齢250年を超える杉の大木が茂る神社です。
美しい八国見山が本殿東北に位置しています。
清流の萩川が眼下に流れる素晴らしい景観です。
庄原市口和・多加意加美神社に残る狛犬です。赤瓦の狛犬です。
多加意加美神社(たかおかみじんじゃ)。広島県庄原市口和町向泉。式内社(小)、旧郷社。【祭神】高おかみ神 (合祀)品陀和気命 息長帶比売命 大山祇命資料によると、創祀は元明天皇の御代、奈良時代直前の和銅2年(709年)、標高844.7mの八国見山の山頂に鎮座したという。御祭神は高龗神。『式内社調査報告』によれば、その後、向泉木原へ移り、江戸時代前期の寛永9年(1632年)、宝蘇山に移ったという。一方で、『広島県神社誌』では、戦国時代の大永年間(1521年-1528年)に宝蘇山へ移り、さらに寛永9年に向泉木原に遷座したと、逆になっている。どちらにしろ、もとの鎮座地の八国見山の山麓に宮内という地名が残る。この宮内に、本宮神社があり、当社の旧地、本宮とされ、やはり式内論社。江戸時代後期の文化6年(1809年)、八国見大明神と称していたものを、頼杏坪が式内社に比定し、旧称である現社号に復した。復称は文化14年(1817年)のことともされる。現在の東隣の浄蓮寺が旧別当だったともされるが、現在地への遷座は大正期のこと。明治6年(1873年)、郷社に列した。明治44年(1911年)に村社八幡神社(品陀和気命・息長帯比売命)と日枝神社(大山祇命)を合祀した。大正3年(1914年)、合祀した八幡神社の旧社地である現在地に遷座した。あるいは、現在地の北側にある神宮司が別当ともされるが不詳。とあります。
読み(たかおかみじんじゃ)創建707年とかなりの歴史があります。最初は口和町の八国見山山頂に建てられ、1520年頃に口和町の宝蘇山に遷座。1632年に向原の木原に遷座。と引っ越しを繰り返してます。この間に寂れて名前も「八国見大明神」に変わり、長らく【所在不明の幻の神社】になってました。1800年代に広島藩の儒学者、頼杏坪が見つけて旧称に戻し、大正3年現在地に遷座。見つかって良かったです。祭神は高龗神(たかおかのかみ)山の龍の神様で水や雨の神様。貴船神社の祭神で有名です。駐車場はありません。裏参道の鳥居脇に少し広い場所があったので駐車。参道の小さな祠や境内の隅々まで手入れが行き届いて綺麗です。本殿も立派。彫刻も細やかで綺麗です。屋根は鮮やかな朱の銅板。珍しいのが表参道の狛犬。石製の他に石州瓦の狛犬がありました。あと摂末社の天満宮の狛犬が牛。天満宮は牛を祀ってますが2つ対で並ぶのはレアです。社務所がありましたが閉まってて不在。しばらく辺りを散歩していたら境内下の家の玄関に紙垂が。神主さんちかな?御朱印あるかな?と見てたら飼ってるワンちゃんが吠えて、そのおかげで神主さんの奥様に会えました。書き置きの御朱印をいただきました。大木と田園風景。綺麗な神社。すごく癒されました。
頼杏坪の和歌の解読を試みて…「御名もいまそのいにしへにかへり来て あふけさいよゝ多加意加美の神」社名も今古来のものに立ち返り、畏れ多さが益々高まった、多加意加美の神よ。「あふけさ」は「おほけなし」からの連想なので違うかも。でも趣旨はこんな感じ。拝殿の木鼻は横が象、前は巨大注連縄に隠れて不明瞭だが蹄なので麒麟?本殿は一般的な前が獅子鼻で横が獏鼻、手挟に麒麟、四面に海と空の生き物。
社叢は樹齢250年を超える杉の大木が茂り趣のある素敵な雰囲気の神社です。
本殿より東北を望めば多加意神本宮の御神体である美しい八国見山の姿が真正面にあり、眼下には清流の萩川、その直ぐ上には砂鉄のとれた宮ノ谷の川がある。この水が甘し人達の心に潤いを与えたまう。
庄原市の重要文化財に指定されている神社です。参拝の際に専用の駐車スペースがないためご注意ください。
式内社の多加意加美神社。町の通りから小高い丘に入った場所にあり、拝殿の前に丘陵の展望が開けます。社殿の両側を囲むように背の高いご神木があります。
| 名前 |
多加意加美神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0824-87-2300 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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役場方面からも入れますが、南に回って正面の参道を登る方が趣あります。境内社の天満宮前には、堂々と落ち着き払った狛牛がいます。