武田信玄が築いた久能山城の感動!
久能城跡の特徴
武田信玄公が築いた久能城跡は、歴史を感じる特別な場所です。
駿河湾に面した日本平山中で、美しい自然を楽しみながらの探索が可能です。
本殿への道のりは体力を使いますが、達成感は感動的な体験をもたらします。
ロープウェイのホーム横に城址の石垣がほんの少しだけですが残っていて城好きな私としては嬉しかった。
☆約210mの久能山の南北に延びた山頂尾根筋に築かれた久能山城⛰️徳川家康が築いたかと思いきや甲斐の虎「武田信玄」が城郭化、始まりは駿河国の戦国大名今川家の弱体化に伴う「武田信玄の駿河侵攻」1569年(永禄12年)頃に駿河国を掌中に治めた武田信玄が駿河湾の海上監視や草薙周辺の重要拠点として急峻な久能山の城塞を強化構築、1582年(天正10年)天目山で武田家滅亡、駿河国は徳川家康の所領に⚔️☆城塞から「徳川家康」御廟所となり、身近な城郭としての遺構は殆ど失われています。日本平ロープウェイ「久能山駅」が二の丸跡で降り場の左手が久能山城石垣跡とロープウェイの女性乗務員さんが説明してました(戦国時代にしては積み方が少し怪しい)、参道=登城路、東照宮社殿域=本丸跡、山頂部=愛宕郭(御廟所の奥で立入禁止区域)、久能山尾根筋を北から南へ連なる「連郭式山城」、規模的には小規模な城郭。
神社の社務所で御城印販売ありました。下から徒歩でも上がれます。はい、久能城(くのうじょう)についてまとめますね。⸻🏯 久能城(くのうじょう)概要•\t所在地:静岡県静岡市清水区(久能山東照宮のある久能山)•\t築城者:今川氏真(今川義元の子)•\t築城年代:永禄年間(1560年代前半)•\t城の形式:山城(標高216mの久能山に築かれた)歴史•\t今川氏が駿府を本拠とした際に、駿河湾沿いの軍事・海上交通を押さえるために築城。•\t1568年、武田信玄が駿河へ侵攻、久能城も武田方に。•\tその後、徳川家康が武田氏を滅ぼし、1582年に支配下へ。•\t家康は久能城を廃し、替わりに山麓から駿河湾に近い「駿府城」を整備。現在•\t城郭としての遺構は残っていない。•\t跡地には 久能山東照宮 が建立され、家康公の廟所として有名。•\tつまり、久能城跡=現在の久能山東照宮境内。•\t「日本100名城」や「続日本100名城」には未選定。見どころ•\t東照宮拝観とあわせて、かつての久能城の立地を体感できる。•\t駿河湾を見下ろす断崖上にあり、海上交通を押さえるための軍事的重要性が実感できる。•\t東照宮内には、城跡を示す石碑や案内板がある。⸻✅ 結論:久能城は「今川 → 武田 → 徳川」と支配が移った駿河の要衝の山城で、現在は久能山東照宮に姿を変えています。つまり「東照宮参拝=久能城跡訪問」となります。⸻👉 久能城跡(久能山東照宮)を訪ねるモデルルート(日帰り/日本平ロープウェイ経由)
甲斐の武田信玄が駿河に進攻した時に、当時この地にあった久能寺を改修、城郭化し、駿河湾の監視を行った城郭。武田滅亡後は徳川家康によって東照宮が建立されました。現在は風光明媚な大観光地です。
バスツアーの為、さらっと拝見。もっとじっくりみたい。回りたい。あいにくの雨の静岡でしたが、久能山到着するとやんでくれて、嬉しかったです晴れた日にまたじっくり行きたい。無事に御城印も御朱印も頂きました。
バスツアーの為、さらっと拝見。もっとじっくりみたい。回りたい。あいにくの雨の静岡でしたが、久能山到着するとやんでくれて、嬉しかったです晴れた日にまたじっくり行きたい。無事に御城印も御朱印も頂きました。
一の門が大手門跡、ロープウェイ駅は二の丸、本殿が本丸跡。愛宕曲輪は家康廟の裏で立ち入り不可。一の門まで降りると階段も半分のよう。
久能山城の縄張りに東照宮が建設されたため、久能山城の遺構はほとんど残っていない。素人目線でも分かる遺構は、勘助井戸と石垣のみ。ロープウェイ久能山駅では二ノ丸跡の石垣を見ることが出来る。
武田三堅城の一つで、その跡地を利用して久能山東照宮を建てたもの。遺構は分かりにくい。
| 名前 |
久能城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
054-221-1066 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
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石垣がケーブルカーの昇降口に残っています。最初は武田軍のものだったようですが徳川軍が接収したようです。