有賀艦長の碑で歴史を感じる。
法性神社の特徴
戦艦大和の艦長、有賀幸作中将のレリーフが祀られています。
境内には巨木や古い石碑があり、長い歴史を感じさせます。
龍の口から湧き水が出ており、暑い日でも涼しさを感じる場所です。
❶【戦艦大和最後の日の碑 参考 信濃路の拓本集 1977年】戦艦大和最後の日の碑平出出身の戦艦大和の艦長 「有賀幸作中将」の碑 である。この碑は辰野町旧旭地区出身の「美術・工芸・文学」の作家の合作によるものである。戦艦大和のレリーフは 「瀬戸団治」氏。撰文は文学博士「有賀喜右衛門」氏により「中川紀元」氏の書いた「君に捧げた 君たちの尊いいのちよ とこしえに 世界平和のいしずえたらん」台座には「太平洋戦争の悲劇を再びくりかえすことがないために私達はこの碑を建てる 昭和二十年四月 日本海軍は戦艦大和を旗艦として・・・」と建立の趣旨を刻んだレリーフがはめ込まれている。
雰囲気良い!手水舎がかっこいい。
本殿の彫刻が立派でした。
夕暮れ時にフラフラと寄りました灯りついてたので薄暗くても平気新しい御柱がそびえてました近くでみると神々しいです。
戦艦大和第五代艦長、有賀幸作のレリーフが飾られている神社。現在は社内は工事中の為、立入禁止となっている。グーグルでは近隣に有賀幸作の墓が表示されているが、こちらは有賀家の墓でもあるので、訪問の際は留意する事。さて、神社の写真とは少し違うがこちらが辰野町のメインストリート。令和の今でもこんな具合だから有賀幸作の出生年の明治はもっと寂れていただろう。長野のこの辺は冬は雪深い、主要産業は養蚕や諏訪への出稼ぎだっただろう。有賀幸作は長男で軍人志望だったと言うが、山奥のここから兵学校に合格するということは相当苦学をしたに違いない。そして海外への遠洋航海を続ける日々の中、長野の山奥の故郷を思った事も1度や2度ではない筈だ。大和副長能村次郎著「戦艦大和死闘の記録」によると、菊水特攻作戦の直前に乗組員に最後の上陸をさせたり、出身地から家族を呼び寄せたりしたそうだが、辰野町から呉まではせいぜい電報がやっとだったろう(ちなみに能村次郎の出身は新宿である)その様な思いが、戦艦大和最期の日と言うレリーフを見た瞬間に私の中で溢れ、言葉を失った。
旧日本海軍の戦艦大和、最後の有賀艦長が辰野の出身とはついぞ、いままでで知りませんでした。ここ法性神社⛩の石碑には"国に捧げた君たちの尊いいのちよとこしえに世界平和のいしずえたれと祈る"と、銘打たれています。先の大戦で犠牲になられた尊き御霊に手を合わせずにはいられません。
トチの実のエピソードをTVで知って言ってみた。平日の16時過ぎだろうか、小学生たちの集合場所になっているようで、ほどなく賑やかな声が響いていました。
トチの実のエピソードをTVで知って行ってみた。平日の16時過ぎだろうか、小学生たちの集合場所になっているようで、ほどなく賑やかな声が響いていました。
決して大きな神社ではありませんが、境内に大木や古い石碑が残っており、長い歴史を感じます。また、他の投稿者の方にもありますが、旧日本海軍の戦艦大和と運命を共にした有賀幸作艦長のレリーフがあります。鎮魂に相応しい静かな場所です。
| 名前 |
法性神社 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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戦艦大和の最後の艦長の有賀幸作氏の記念碑があるということで記念碑を見ながら参拝させていただきました。