毎月新しい御朱印と出会う。
七所神社の特徴
毎月のお参りで楽しむ御朱印の変化があります。
尾張造りの妻入り拝殿が印象的です。
力士像が支える棟木がユニークな特徴です。
240608名古屋近郊探索で行きました。駐車場なかったです。御朱印人がいなくていただけませんでした。
熱田七社を勧請した伏屋の七所神社。「尾州徇行記」では、永正6年(1509年)再建とあり、再建するのは100年以上と考えると1400年以前に創建されたと思われる。すぐ近くの岩塚の七所神社とは祭神のメンツが変わっているので、岩塚の七所社から勧請したのではなく、熱田神宮の熱田七社から勧請したのだろう。神社の由緒板に書かれている祭神は以下。熱田本宮:日本武尊八剣宮 :草薙御剣御霊日割宮 :迦具土神(カグツチ)高倉宮 :足仲彦命(タラシナカツヒコ)(仲哀天皇)孫若宮?:稲依別命(イナヨリワケ)氷上宮 :宮簀媛命(ミヤズヒメ)源田夫宮:乎止与命(オトヨ)倉稲魂命が抜けてヤマトタケルの第一子・稲依別命になっているけど、恐らく大幸田宮には祀られてないだろうから、この時の熱田七社には孫若宮だったのではないか。また、ヤマトタケルの第二子・足仲彦命(仲哀天皇)もあり、恐らくこの次代はヤマトタケルが主祭神で、孫若宮、高倉宮はヤマトタケルの子供が祭神として祀られていたのだろう。また、神社の由緒板には草薙剣があるが、「愛知県神社名鑑」には草薙剣はなく、祭神は6柱のみとなっている。単なる登録ミスかもしれないが、八剣宮が創建(708年)される前に勧請されたのではないだろうか?神社のある伏屋という地名は寺院などが人々の救済施設として造られた「布施屋」が元になっている。京都と地方を往復する人々の療養を主たる目的とし、食料の配布、宿泊施設などがそろった施設だ。「伏屋」という地名は、世話になった人々が布施屋を後にする時、感謝のあまりに手足を地面につけ頭を下げ、その姿が布施屋の屋根に対して伏せている様な姿から「伏屋(ふせや)」から取られたと言われている。七所神社の南東に雲龍山宝蔵院があることから、律令時代の神仏習合の時代には宝蔵院と七所神社は同じ境内にあったと推定される。宝蔵院の由緒も不明でだが、「伏屋」があるとすれば、ずっと北にある尾張地方と京都へ向かう桑名をつなぐ佐屋街道沿いだったと思われる。妄想すれば、奈良時代に佐屋街道沿いあった「布施屋」の傍に七所神社と宝蔵院が創建され、時代と共に海岸線が拡がると「布施屋」も南に移動。七所神社と宝蔵院も移動し、1509年に今の場所で再建されたのではないか。そうなると、恐らく七所神社の祭神は、奈良時代の熱田の神を勧請してきたものだと妄想する。
毎月お参りしています⛩👏毎月御朱印が変わります。素敵ですよ。
尾張造りの妻入りの拝殿の棟木を力士像が支えていたのがユニークでした。
| 名前 |
七所神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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コンクリートの蕃塀と神殿石垣にある恵比寿大黒天の石像、拝殿正面上部の馬の彫刻が印象的。熱心に掃除をしてくださる方がいらして、愛されているなと感じました。