田園地帯に佇む多居乃上神社の魅力。
多居乃上神社の特徴
多居乃上神社は延喜式内社として知られる重要な神社です。
袋川沿いの田園地帯に位置し自然が豊かな場所です。
多居乃上は多胡や田胡とも書かれる神社名です。
多居乃上神社(たこのうえじんじゃ)延喜式内社法美郡の大神社とも比定されているが確定ではない。かなり広い敷地で開けたイメージで昭和三十八年に京都で新調された麒麟獅子舞の獅子頭がある。広西・法花寺・庁・町屋四ヶ村の氏神元の鎮座地は東150米上流らしいがわかるはずもなく(1000年以上前)渡来系の最先端の集団がいたとも。本殿、幣殿、拝殿、神楽殿、祭器庫氏子戸数 六十戸(鳥取県神社誌)
袋川左岸沿いに広がる田園地帯、法花寺、庁、町屋の集落を通り過ぎ広西(ひろせ)に到着。一際鬱蒼と古木が林立する一画が目に入ります。神社は広西を含む四集落の氏神で、鳥居横に石柱(式内 多居乃上神社)が建っています。高く太い真っ直ぐな杉、銀杏等の古木が境内を覆い守り、神社の霊験を新たに深めます。拝殿、本殿の端正な凛とした美しい姿は言わずもがなです。境内は秋の虫が鳴いています。枯れ葉が地面に所々落下していますが普段からの整美の賜物で、落ち葉が降り積もっている様子はありません。神社の廻りには随分とどっしりと大きな御神塔が建ち並んで、人々の神社への篤い崇敬が溢れ出ています。それでいて片隅には遊具があり子供たちの善き遊び場です。なぜかしら郷愁を感じる神社です。
「多居乃上」の社名は、「多胡」「田胡」とも書かれる場合があるが、いずれの場合も、発音は「たこ」。この「多胡」の社名から、古代帰化人集団の祀る神社であるとする説があるようだが、群馬県にある「多胡碑」との関連だろうか。「乃上」というのは、一説には、昔、川側にあったものを一段高い地に遷したため、本来の「多胡」の「上」となったという。元の鎮座地は、現在地の東150m上流らしいが、何も残っていない。仮に、この説が正しくて、遷座が事実であったとしても、それは1000年以上昔(延喜式以前)のことなのだ。祭神は、大穴牟遲命と須勢理毘賣命。その他の合祀の神々は、大正六年の神社合祀によるもの。社殿には、出雲系の亀甲紋が付いていたので、たぶん、これが神紋だろう。
| 名前 |
多居乃上神社 |
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| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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多居乃上神社(たこのうえじんじゃ)。鳥取県鳥取市国府町広西。式内社(小)多居乃上神社二座(法美郡)及び、式内社(小)大神社(巨濃郡)論社、旧村社。【祭神】大穴牟遅命 須勢理毘売命(スセリビメノミコト)(合祀)少毘古那神 速佐須良姫神 須佐之男命 菅原道真資料によると、創祀年代は不詳。平安時代前期の貞観15年(873年)7月、正五位下に進んだ。もとは現在地の東150mの地に鎮座した。その後、現在地に遷座。社名「多居」は、「多胡」「田胡」とも書かれる場合があるが、いずれの場合も、発音は「たこ」。当社氏子には章魚(タコ)を食さないという禁忌がある、とも。田胡大明神とも、多胡大明神とも。この「多胡」の社名から、古代帰化人集団の祀る神社であるとする説がある。群馬県には「多胡碑」がある。「乃上」というのは、一説には、昔、川側にあったものを一段高い地に遷したため、本来の「多胡」の「上」となったという。江戸時代前期の貞享5年(1688年)、社殿造営の記録が残る。明治5年(1872年)、村社に列し、明治40年(1907年)には神饌幣帛料供進社に指定された。御祭神は『延喜式』神名帳通り二座、大穴牟遅命と須勢理毘売命。大正6年(1917年)、 近隣の数社を合祀した。とあります。