新田義貞公の供養塔と静寂。
金龍寺の特徴
太田市七福神巡りの一つとして知られ、歴史を感じる場所です。
新田義貞公の供養塔があり、地元の英雄と深い関わりがあります。
秋には美しい紅葉が見られ、キキョウが咲く静かな境内です。
大光院の隣『金龍寺』です。金龍寺所在地:群馬県太田市金山町40-1金山城主横瀬氏の菩提寺。歴代金山城主の五輪塔や新田義貞の供養塔があり、市の重要文化財に指定されています。以下、太田市HPより大田山金龍寺は曹洞宗の寺で、寺伝によると、寺名は新田義貞の法名「金龍寺殿眞山良悟大禅定門」にちなんだものです。創建は応永24年(1417)に横瀬貞氏がその祖とした新田義貞を追善供養するため開基したとされています。近年の研究によれば、金山城の重臣であった横瀬氏が文明年間(1469~1486)に創建したとする説が有力です。その後、金龍寺は下剋上により新田(岩松)氏を退け金山城の実質的な城主となった横瀬氏(のち由良氏)一族の菩提寺として興隆しました。しかし、天正18年(1590)、金山城の廃城に伴ない、由良氏は常陸(茨城県)牛久に移封され、金龍寺も寺僧とともに同地へ移りました。現在の金龍寺は慶長年間(1596~1615)に、この地を領した館林城主榊原氏により再興されたものです。由良氏五輪塔は9基あり、横瀬国繁から由良成繁に至る歴代の金山城主とその一族を弔うために造立されたものと考えられています。安山岩製で、それぞれに紀年銘・法名・五大が刻まれています。新田義貞公供養塔は五輪塔の奥、最上段にあります。寛永14年(1637)、新田義貞三百回忌法要に際し造立されたものです。銘の入った石英斑岩製の基礎部の上に、安山岩製の多層塔を重ねたもので、総高は246cmです。
金龍寺(きんりゅうじ)は、曹洞宗のお寺です。応永24年(1417)、横瀬貞氏が開基しました。なお横瀬氏(後に由良氏)は新田義貞の末裔と称しています。横瀬氏が金山城城主だった時期、当寺は横瀬氏の菩提寺となっている。天正18年(1590)、由良氏(横瀬氏)の牛久転封により、寺は一緒移転しました。現在、茨城県龍ケ崎市に金龍寺として現存しています。
お寺の北に位置する日本百名城の一つ金山城主横瀬氏の菩提寺で毘沙門天様をおまつりされています歴代金山城主の五輪塔や、太平記のエース格の一人、太田市出身の新田義貞公の供養塔もこちらにありますそもそもお寺の名前は新田義貞の法名「金龍寺殿眞山良悟大禅定門」にちなんだものらしいです11月下旬で紅葉も色づき始めといったところでしたがその分、静かにゆっくりとお参りできました。
本堂向って左側へ供養塔の階段を登らずそのまま墓地方面に真っすぐ行くとすぐに義貞公のお墓もあります(供養塔とは別に)分かりづらいですが地元の方に教えていただきました。
大田市七福神巡りの一つとなっています。金山の斜面にあり、境内からハイキングコースに出ることができます。
ここあるのは供養塔です。新田義貞の墓は福井県丸岡市の称念寺にあります。
曹洞宗、新田義重公の供養塔があります。太田市指定重要文化財です。
曹洞宗大田山金龍寺。金山城の麓にある寺院です。秋の七草である桔梗で有名な寺院とのことです。更には、新田氏の菩提寺でもあるようで、本殿の裏側に位置する山には新田一族の墓地があります。それゆえ本殿の篇額には、『義貞院』と書かれており、新田義貞との深い繋がりを感じます。書いていただいた御朱印にもしっかりと『義貞院』と記されておりました。不落の城、金山城の城主でもあった新田氏は、ここ太田の地でいまなお見守り続けているようです。金龍寺については、庭園が日本庭園風で、お寺の庭園とはまた違った雰囲気があり、落ち着きます。七福神像も立ち並んでいて壮観です。
曹洞宗の寺院、当地の英雄「新田義貞」縁のお寺です。新田義貞ゆかりの寺院は、鎌倉をはじめいくつかありますが、もっと注目されていいお寺かも知れません。ライバルだった同じ源氏の足利尊氏と比べ、義貞は南北朝時代の南朝がたの悲運の総大将だった武将でした。鎌倉幕府が滅びた時、足利尊氏は京都、鎌倉は新田義貞が攻め滅びしました。鎌倉を攻略したのは義貞でしたが、天皇のいる京都を支配したことで足利尊氏に脚光が集中してしまいました。南北朝時代にも南朝の武将になり、負けた方ですね。もし、新田義貞に野心(天下狙い)と武運がもう少しあったなら、足利尊氏の開いた室町時代では無く、新田時代だったかも知れません。(歴史にたらればはありませんね)(武家の棟梁である八幡太郎義家の四男の源義国が、足利尊氏、新田義貞の共通する祖先です)金山の麓、この地方では有名な「大光院」通称、呑龍様(浄土宗)より少し北側に登った場所に金龍寺はあります。金龍寺が見えたら道から門前の駐車場へ入り、階段を20メートル位登ると金龍寺本堂です。禅宗の寺院らしく、静寂な空間ですね。深緑の季節の朝とか、紅葉の季節はとてもきれいです。伽藍や屋根瓦には新田の家紋「丸に一つ引き紋(大中黒.新田一つ引き)」が見られます。是非確認して下さい。当地の英雄 新田義貞の供養塔、金山城主の由良氏(源氏系由良氏が改名する前の横瀬氏の意向で金龍寺を開山)に代々の五輪塔が九基あります。義貞の墓所はこちらではありません。金龍寺は、一度は牛久の地に移地されましたが太田市(新田の庄)に再興されて現在に至ります。ご本尊は釈迦如来。御朱印は、本堂でご本尊を参拝後にいただきましょう。本堂の隣の庫裏(自宅)でいただけます。ご住職のプライベートな玄関に立入るのだからお昼時等や、早朝や夜間は遠慮するなどの配慮をお願いします。御朱印は観光スタンプでは、ありません。本来は写経を納めた証の受領印だそうです。現在は、納経をしなくても、参拝しますと「ご本尊への信仰とお寺とのご縁を結んだ証」として御朱印を頂けます。できれば参拝の時に短いお経を唱えるとか、感謝を祈願した後に頂きましょう。『南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)』と手を合わせると「南無」は帰依します→「信じます」「釈迦牟尼仏」は「釈迦族の聖者」で『私は、お釈迦様を信じます(おまかせします)』となります※住職談。2017.11.11久しぶりに参拝に来ました。お庭では、職人さんらしき人が何やらライトアップの準備中!紅葉の季節なのでその準備みたいですね🎵ご本尊(釈迦如来)を参拝後に、御朱印を頂きに行き、ご住職としばし会話。ありがとうございました。2019.1.12住職は実は私とは知人なので新年のご挨拶に来ました。本堂は床の全面工事らしく閉鎖されていました。ご住職としばらく会話して金龍寺を後にしました。
| 名前 |
金龍寺 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0276-22-4920 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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金山登山の際に訪れました。ききょう寺と言われているらしく、ちょうど桔梗がきれいに咲いていました。