志布比神社の神聖な空間で心を癒そう。
志布比神社(塩干神社)の特徴
社名碑に志布以神社と記され、ユニークな魅力がある。
創建当初の息吹を感じる、歴史ある神社である。
京都府京丹後市に位置し、地元の人々に愛され続けている。
社名碑は「志布以神社」と読める。またお社の扁額には「塩干神社」とある。境内にはきれいなブランコや滑り台があり、和やかな感じがする。公孫樹の大木があり、秋にはきれいだろうな。拝殿の中には?あれ?お神輿があるぞ。祭神は志夫美宿禰命(日子坐王命の子)とされる。丹波道主命の異母兄弟という。
| 名前 |
志布比神社(塩干神社) |
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| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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志布比神社(しぶひじんじゃ)塩干神社。京都府京丹後市丹後町大山。式内社(小)論社、旧村社。【祭神】志夫美宿禰命(しぶみのすくねのみこと、開化天皇の皇子・彦坐王の子)資料によると、創祀年代は不詳。通称は、塩干神社(しおほしじんじゃ)、しおほつさん。祭神は、志夫美宿禰命。志夫美宿禰命は日子坐王命の子で、日子坐王命の命によって当地の賊を平げた英雄。式内社・志布比神社の論社。ただし、異説として藤原道長に使えた道長四天王の一人であり、和泉式部の夫でもある平井保昌(藤原保昌)によって当地の塩害が改善され、稲が実るようになったため、平井保昌を祀るという説もあり、志布比神社とは無関係とも考えられる。「丹後国式内神社取調書」が引く「丹後国式内神社考」は、「塩干明神」は平井保昌であるとしています。そして「式内社 志布比神社」は網野町の志布比神社を宛てています。平井保昌は「小右記」によると、治安三年(1023年)に丹後守となったとあり、丹後へ下向したとされます。元禄十年、享保二十一年、寛政三年の三回建宮があり、明治四年村社に列した。とあります。