静寂の中に佇む国宝、薬師堂。
泉福寺 薬師堂の特徴
室町後期の禅宗様式が美しい、重要文化財の薬師堂です。
趣のある佇まいが訪れる人を惹きつけ、心を癒します。
静かな環境で、文化と歴史を感じることができる場所です。
印旛沼の西方に位置する泉福寺は真言宗の寺院であり、その創建については明確でない。弘治二年(一五五六)に焼失して、その後に再建されたと伝えられ、薬師堂は室町時代末期の手法を示しているので、この時のものであろう。桁行三間、梁間三間、寄棟造、茅葺で東面する、桁行より梁間の方がわずかに長い。四面には切目縁を廻し、後補の軒支柱を立てる。柱間装置は板壁以外、後世改変されたもので痕跡によると、正面三間は唐戸構え、両側面、前端間は引違戸、北面中央間は全面板壁であったと考えられる。内部は前寄り一間通りを外陣とし、内外陣境は現在開放となっ ているが、もとは三間とも中敷居を入れた、建具装置があったらしい。内陣には側柱筋より後退して来迎柱を立て、来迎壁、須弥壇を設ける。須弥壇上には後補の厨子を置くが、厨子を納めるときに通肘木の中央部が切り取られている。天井は外陣、内陣とも天井桁を廻わし竿縁天井を張る。この堂は千葉県下に多い和様と禅宗様からなる三間堂の遺例の一つで、建具廻わりを除いては古材の保存がよく、垂木にも古いものがある。中世における関東地方の建築の流れを知る上に重要なものである。【現地案内板より抜粋】千葉臼井印西線から少し入った、旧宗像小学校の裏手にあります。奥まった場所にありますが、管理は行き届いており、見学しやすいです。駐車スペースあります。
薬師如来を御本尊とする真言宗豊山派の寺院で、現在の境内伽藍は室町時代後期(1467年~)頃の建立とされる薬師堂、近現代の建立とされる山門と本堂があります。当地に類例の多い三間堂(正面側面3間の仏堂)の薬師堂は、『泉福寺薬師堂 一棟』として国の重要文化財(建造物)に指定され、室町時代の弘治2(1556)年の大火により境内伽藍を焼失、昭和56(1981)年に行われた解体修理により、江戸時代の貞享2(1685)年に現在地に移築・再建されたことが判りました。旧宗像小学校の東側に駐車場あります。
国指定重要文化財(建造物)の薬師堂は資料が残っていないため、詳しいことは不明ですが、建立年代は建築手法から室町時代末期と考えられています。1981年の修理の際、1685年に現在の場所に移築されたことがわかりました。関東地方に残る薬師堂で重要文化財に指定されているものは少なく、貴重な建物です。
趣のある文化財でございます。泉福寺薬師堂は、正面を東南東に向けた、和様と禅宗様の手法を取り入れた折衷様式の方三間堂で、屋根は茅葺寄棟造である。柱は、すべて丸柱で、創建時の痕跡をとどめているが、板壁以外の板戸などの建具は、創建当初のものではない。堂内部は、前1間通りを外陣とし、後を内陣としており、現存の構造や痕跡から、かつて中敷居を入れた建具があったと推定される。内陣は、側柱筋から後へ寄せて須弥壇の背後に立つ2本の来迎柱を建てている関係で、来迎壁、須弥壇とも後方に移って内陣の空間が広くなっている。泉福寺は、縁起等の資料が残っていないため、開基や沿革は明らかになっていないが、薬師堂の建立年代は建築手法から室町時代末期と考えられております。
本堂のほうは狭い境内でしたがこちらの方は広々としています。立派な石灯籠や石段も奉納されていました。国指定の重要文化財だけあってやはり存在感が違います。派手な彫刻の寺社も悪くはないですが個人的にはこういった素朴な作りの寺院のほうが落ち着きます。このあたりではかやぶき屋根の建物は珍しく.昔の風がしのばれこの空間だけ時が止まったような感じでした。
静かで、佇まいが良い。
【国指定重要文化財】室町後期の様式である禅宗様式の薬師堂です。
| 名前 |
泉福寺 薬師堂 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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