春の梅と共に、心安らぐお寺。
淨國寺の特徴
参道の梅が咲き、訪れる季節を感じられるお寺です。
杉山住職のもと、充実した朝のお務めで大いなるご利益が期待できます。
境内の庭がいつもきれいに整備され、訪れる人々を癒してくれます。
先祖のお墓のある菩提寺です。本堂までの長い石畳は、いつも手入れがされていて、心が清められます。また山門脇に初夏に咲く蓮の花はとても見事ですが、昼前には花が閉じてしまいます。そしてなんと言っても、参道の両脇にある枯木の梅の花は見事です。手入れが大変だろうなと思いつつ、梅の花と香りを楽しませていただいています。銚子駅から歩いて数分。ぜひ訪れていただきたいお寺です。
お墓参りに。浄土宗のお寺で本堂は工事中。雰囲気は良いかな。銚子は全体的に寂しい感じ。
参道の梅が咲きはじめていました。内陣もとても立派で素敵ですよ!
桜が咲いていて綺麗でした。敷地内も綺麗に清掃されていて、住職、副住職も話やすい方なのでご相談にのってくれます。いつも誰かいるので、安心なお寺です。駐車場も広く車で来ても安心です。水場も行くもあるのでお参りしやすいです。
素敵なお寺さんです。とても由緒のある場所というのがここに伺ってみて改めてわかりました、天保年間の墓石や石仏等もありまた松尾芭蕉の句碑もあります 見どころは沢山ありました。今回は以前から是非訪れたく思っていた家内の先祖が眠る菩提寺(両親ではありません、先祖です)を初めて訪ねてみました、それこそ30年越しの訪問になりましたが行って良かったねと家内と二人しみじみ思ったものでした。初めてですので広い墓地内のどの場所にお墓があるのかも分からずでしたので受付で確認をしていただいたところ僧侶の方がわざわざ墓所まで案内をしてくださいました、敷地内を掃除(手入れ)している方たちも挨拶をしてくださりとてもいい気持で参拝をする事が出来ました、日曜日だったせいか参拝のかたが結構いました、お寺を訪れる全ての人に優しいお寺なのだなと思いました。6月の暑い日に伺いましたので墓所の周りは特に”やぶ蚊”が多く飛んでいて非常に困りました、虫よけスプレーや蚊取り線香などあるといいかもしれません。御朱印集めが趣味の家内も素敵な御朱印が頂けたと喜んでいました、ありがとうございました。
素敵なお寺さんです。とても由緒のある場所というのがここに伺ってみて改めてわかりました、天保年間の墓石や石仏等もありまた松尾芭蕉の句碑もあります 見どころは沢山ありました。今回は以前から是非訪れたく思っていた家内の先祖が眠る菩提寺(両親ではありません、先祖です)を初めて訪ねてみました、それこそ30年越しの訪問になりましたが行って良かったねと家内と二人しみじみ思ったものでした。初めてですので広い墓地内のどの場所にお墓があるのかも分からずでしたので受付で確認をしていただいたところ僧侶の方がわざわざ墓所まで案内をしてくださいました、敷地内を掃除(手入れ)している方たちも挨拶をしてくださりとてもいい気持で参拝をする事が出来ました、日曜日だったせいか参拝のかたが結構いました、お寺を訪れる全ての人に優しいお寺なのだなと思いました。6月の暑い日に伺いましたので墓所の周りは特に”やぶ蚊”が多く飛んでいて非常に困りました、虫よけスプレーや蚊取り線香などあるといいかもしれません。御朱印集めが趣味の家内も素敵な御朱印が頂けたと喜んでいました、ありがとうございました。
いつもお世話になっているこのお寺は夏に行くと砂地に今では珍しいアリジゴクを観察できたり、秋は面白いフクロタケ?のようなきのこが砂地からいきなり顔を出していたりして何か時が止まったかのような風情を出しております。
お彼岸に行かれなかったのでお参りに行きました。落ち着いた感じの大きなお寺です。銚子駅からも近く徒歩3分位で着きます。お坊さんの読経がとても良い。広い駐車場がありますので車で行っても安心です。トイレもあります。
ここの住職の杉山さん(俊明)は、知恩院の大僧正です。増上寺でも、お仕事しています。
| 名前 |
淨國寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
0479-22-1210 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 8:00~17:00 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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一立山 無衰院 淨國寺(じょうこくじ)は、銚子駅の南400mほどの千葉県銚子市春日町に伽藍を構える浄土宗の寺院です。建長7年(1255年)浄土宗第三祖である然阿良忠(ぜんありょうちゅう)上人によって開山されました。良忠上人は、浄土宗の開祖・法然上人の教えを継承・発展させ、鎌倉を中心に多くの念仏道場を建立した高僧です。その法流を汲む浄国寺は、この地における念仏信仰の重要な拠点として誕生しました。江戸時代に入ると、利根川水運の整備や豊富な海産物により、銚子は関東有数の港町として飛躍的な発展を遂げました。多くの廻船問屋や醤油醸造業者が富を築き、経済的に潤うとともに文化的な成熟も進みました。このような背景の中で、浄国寺は多くの文人墨客が逗留するサロンのような役割を果たすようになります。寺宝として、俳人である小林一茶や、江戸時代後期の代表的な知識人であり画家でもあった渡辺崋山らの直筆による書画が現代に伝えられており、当時の住職と彼らとの間で深い交流があったことが伺えます。境内には人間国宝である香取正彦氏御作の鐘楼堂や、江戸時代の念仏聖である徳本上人の名号碑のほか、樹齢数100年に及ぶ雌雄一対の大銀杏、松、梅などの古木があり、白梅は銚子市の開花標準木にも指定されています。また、当山の北西にはかつて「望西台」と呼ばれる庵があり、明和から文化・文政年間にかけて、渡辺崋山や小林一茶をはじめとする多くの文人墨客が訪れ、寺宝の墨画帳には数々の作品が残されています。浄土宗(じょうどしゅう)は、平安時代末期の承安5年(1175年)法然が比叡山での長年の修行を経て、善導大師の教えに基づき「専修念仏」を提唱しました。身分や修行の能力に関わらず、誰もが平等に救われる画期的な教えとして、貴族から庶民まで幅広い層に広まりました。念仏の急激な広まりは既存の仏教宗派から強い反発を受けました。建永2年(1207年)法然は朝廷から流罪に処せられ、教団は大きな危機を迎えました(承元の法難)。流罪が解かれた後、法然の教えは弟子たち(弁長、聖光、証空など)によって全国へ継承されました。京都の知恩院を総本山とし、江戸時代には徳川将軍家の厚い庇護を受けて全国に寺院網が整備され、強固な基盤が確立しました。ひたすら「南無阿弥陀仏」と仏の名を唱える(称名)ことで、阿弥陀仏の誓いによって極楽浄土へ導かれると説きます。修行が難しい一般庶民にも開かれた教えであり、日常生活の中で心を込めて念仏を唱えることが推奨されます。