歴史感じる大伴神社の魅力。
大伴神社の特徴
石段が印象的な神社で、歴史的な魅力が満載です。
近くの天来記念館の駐車場からアクセスできます。
8月15日の榊祭りは幻想的な夜に開催されます。
大伴神社(おおともじんじゃ)。長野県佐久市望月字御桐谷。式内社(小)、旧村社。主祭神:天忍日命(大伴氏祖神) 天道根命 月読命【関係氏族】大伴氏の末流望月氏資料によると、社伝によれば、景行天皇40年に、大伴武日(現在の祭神は天忍日命)が馬に乗って当地に降臨し、鎮座したのが始まりと伝わる。また、月読命が大海原から竜馬に乗って四方の河渓を見て回り、千曲川を遡って当地へ鎮座したという伝承もある。大宝年間に、諸国に牧場(官牧) が設定され、千曲川・鹿曲川に境した700乃至800mの高原台地が朝廷直轄の牧場となり、「望月牧」となった。これを維持、管理する牧監が、この地に土着して一大豪族となった大伴氏を祖とする望月氏の人物から任命され、長倉牧・塩野牧の長官をも望月氏が兼任したという。望月を有名にしたのは、何といっても名馬である。この辺り一帯は古くから“御牧ヶ原”と呼ばれていたが、文字が示す通り朝廷の官牧が置かれていた。朝廷では旧暦8月15 日に官牧から貢進した馬を天皇が宮廷でご覧になって、御料馬を定める「駒牽きの儀」が行われていた。なかでも数が多く、名馬を産出したのがこの地域であった。8 月15 日は中秋の名月であり、満月を望月ということから、名馬も望月と呼ばれるようになった。そして、この地域も望月という名で呼ばれるようになったという。宮廷では鎌倉時代まで、大津から京都に入る逢坂の関まで貢馬を出迎える習慣があり、三十六歌仙の一人、紀貫之が『拾遺和歌集』に「逢坂の関の清水に影見えていまや曳くらむもちづきの駒」という歌を残している。よって当社は、小社ではあるが御牧七郷の総社と称えられていたという。とあります。参考として、御牧七郷(みまき しちごう)とは、長野県東御市にある大伴神社(おおともじんじゃ)の「御牧(みまき)七郷」と呼ばれる地域全体を指す言葉です。この地域は、佐久地方の延喜式内社(えんぎしき ないしゃ)の一つである大伴神社が総社であることからそう呼ばれています。
駐車場は無く、道が狭い(´;ω;`)書き置き御朱印も無かった(´;ω;`)
大伴神社は、古墳時代に当たる景行天皇40年(西暦310年)に創建と伝わる、大伴氏の祖神天忍日命(アメノオシヒ)を祀る神社です。延喜式神名帳にも記載があり格式高い神社であることが窺えます。現存する本社殿は、約350年前の延宝5年(1677年)に造立されたもののようです。社殿内を覗くと明治に奉納された「至誠無息」と書かれた扁額が見られます。
タケミナカタとヤマトタケルの諏訪での繋がりを紐解くヒントになるかも。武居大伴主神(武居夷(たけいえみし)神)を祀る。
石段が印象的な神社です。8月15日の榊祭りでは石段をかけ上がった後で神輿をぶつけ合います。特に大人神輿は圧巻の光景ですよ。
旧中仙道・望月宿は歴史を感じさせる建物や石像が多く、ゆっくり見て廻るなら、車は『天来記念館』駐車場などを利用できます。そんな街道沿いに『大伴神社』の鳥居を見つけました。お祀りする神様は『天忍日命・あめのおしひのみこと』で『大伴氏』縁の神様。『大伴氏』と聞いて思い出すのは『大伴家持』位ですけど。『万葉集』の編纂者と繋がりがあるのかなぁ?
歴史の勉強のために神主さんにお話を聞いたことがありました。8月の榊祭りではみこしを担いで石段を駆け上がります。地元の学生さんが駆け上がっているのも良いですが、やはり夜の大人みこしで石段を駆け上がるのは力強さが違いますので機会がある方は是非見てもらいたいと思います。さらに石段を駆け上がった後のみこしをぶつけ合うのも見てもらいたいです。
近所では、一番大きな神社です。8月15日の榊祭では、御輿をこの神社に奉納します。建立は約400年程前。
8月15日の榊祭り、夜🌃10時頃行ってみて下さい。階段を神輿が駆け上がって行くので、圧巻ですよ❗
| 名前 |
大伴神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0267-53-4853 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.saku.nagano.jp/kanko/townguide/temp/otomojinja.html |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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平安時代 隆盛を極めた望月の牧の中心的な神社 大伴氏がここを開発し滋野氏、望月氏が馬の大産地に作り上げた。