奈良時代の時代を語る多胡碑。
多胡碑の特徴
上野三碑の一つで、日本最古碑の一つに該当する、重要文化財の歴史的意義です。
多胡碑記念館では、地元の歴史を大事にする雰囲気が感じられ、館内が静かです。
1300年前の文化交流を記す石碑で、文字が大きく見やすい工夫がされています。
吉井石碑の里公園の中、多胡碑記念館裏の林の中に多古碑を収めた小さな建物がありました。建物の扉はガラスになっていて、内部の碑をのぞき見ることができます。 多古碑は、和銅4(711)年の多古郡建郡を記念して建てられたもので、笠石、碑身、台石(第二次世界大戦後、コンクリート製に造り替え)から構成されています。石碑の上に笠をかぶせたような珍しい姿です。多胡碑は、日本三古碑の一つ(他の2つは那須国造碑、多賀城碑)で、山上碑、金井沢碑と合わせて「上野三碑」と呼ばれ、平成29(2017)年にユネスコ「世界の記憶」に登録されたそうです。上野三碑から、中国を起源とする漢字や政治の仕組み、インドを起源とした仏教などの先進文化の伝来、そして仏教の広がり、古代の家族のありかたなどが分かるそうです。下記は、近くにあった案内板の内容で、こちらに石碑に刻まれた内容が説明されています。また、もっと詳しい内容は、お隣の多胡碑記念館に展示されています。石に文字が刻まれているだけといえばそれまでですが、とても興味深い内容なので、ぜひ訪ねてみて下さい。特別史跡 多胡碑指定地 高崎市吉井町池字御門一〇九五·一〇九六指定年月日 昭和二十九年(一九五四)三月二十日石材 牛伏砂岩(通称「多胡石」)構造·寸法(最大値)笠石 高さ二七cm·幅九五cm·奥行九〇cm 底面に枘穴碑身 高さ一二九cm(枘上面~台石上面)·幅六九cm·奥行六ニcm 基部に向かって末広状を呈す台石 未詳(現在は第二次世界大戦後に付設されたコンクリート基礎が碑身を巻く)弁官符上野國片郡緑野郡甘良郡并三郡内三百戸郡成給羊成多胡郡和銅四年三月九日甲寅宣左中弁正五位下多治比真人太政官二品德積親王左太臣正二位石上尊右太臣正二位藤原尊現代語訳 朝廷の弁官局から命令があった。上野国 片岡郡·緑野郡·甘良郡の三郡の内から三百戸を分 けて新たに郡をつくり、羊に支配を任せる。郡の名は 多胡郡としなさい。和銅四年(七一一)三月九日甲寅の日に命令が伝えられた。左中弁 正五位下多治比真人 (三宅麻呂)。太政官二品穗積親王、左大臣正二位石 上尊 (麻呂)、右大臣正二位 藤原尊 (不比等)。解説 栃木県の那須国造碑、宮城県の多賀城碑とともに日本三古碑に数えられる。また、高崎市山名町の山上碑、金井沢碑とともに上野三碑と呼ばれ、古代東アジアの文化交流を示す重要な記録物として、平成二十九年(二〇一七)十月三十一日にユネスコ「世界の記憶」に登録された。碑文前半には、奈良時代の和銅四年(七一一)に、政府からの命令で新たに多胡郡を設置したことを記す。同様の記述が『続日本紀』にみえ、建郡に際し片岡郡山部、緑野郡武美、甘良郡織裳·韓級· 矢田·大家の六つの里(郷)を割いたことが分かる。「羊」の解釈については諸説あるが、郡の長官に任命された人物とする見方が有力である。後半には、政府高官四名を記す。碑文(一部分)の文献初出は室町時代まで遡る。いつの頃か「羊太夫」を主人公とする伝説が生まれ、地元では「ひつじさま」として親しまれた。江戸時代には歴史資料として研究されるようになり、その文字は隋·唐時代の中国文化の影響を受けたものとして、書としても評価されている。碑は、郡の役所付近に建てられたと推定され、南方約三五〇mには国史跡上野国多胡郡正倉跡が位置する。古代の建郡碑である多胡碑は、国家の成り立ちを地方の視点から伝える貴重な文化財である。国指定特別史跡 多胡碑朝廷の弁官局から命令があった。上野国片岡郡·緑野郡·甘良郡の 三郡から、三〇〇戸を分けて新たに郡をつくり、羊に支配を任せる。郡の名は多胡郡としなさい。和銅四(七一二)年三月九日に命令が 伝えられた。左中弁·正五位下 多治比真人から送られた天皇の命令書である。太政官·二品穂積親王、左大臣·正二位石上尊右大臣·正二位藤原尊。· 多胡碑は奈良時代の711年に今の高崎市山名町と吉井町にかけて新しく「多胡郡」という郡がつくられたことを記念して建てられた碑なんだ。· 郡の長官となった羊という人が建てたようだ。·命令を出した4人の政府の人々の名が書かれているよ。
多胡碑「たごひ」国指定特別史跡奈良時代711年、朝廷からの命令を刻んだ石碑ザックリ言うと「この地域はオマエがまとめろ」と書いてあるようです石碑は劣化防止の為に覆屋の中にあり、ガラス越しの見学になりますボタンを押すと照明が点いて解説が流れます駐車場隣接でこの近辺にある上野三碑の中では一番見学しやすいと思います。
26.4 に訪問。保存がしっかりされていて、とても良い。近くに駐車場あり。20台くらいは停められます。
2026.3栃木県の「那須国造碑」、宮城県の「多賀城碑」、と共に日本三古碑に「多胡碑」が挙げられています。那須国造碑は現在、神社の御神体として祀られています。記憶は曖昧ですが、多賀城も行ってるのでここで日本三古碑制覇となりました。【概要】多胡碑(特別史跡)は、奈良時代初期にあたる和銅4年(711年)に新しく多胡郡が誕生したことを記した建郡碑で、日本三古碑の一つに数えられています。また、市内にある山上碑・金井沢碑(それぞれ特別史跡)とともに上野三碑(こうずけさんぴ)と総称され、古くから親しまれており、平成29年(2017年)10月31日、上野三碑はユネスコ「世界の記憶」に登録されました。
日本三古碑の1つということで、訪問。記念館(無料)が近くにあるので、併せて訪問すると、他2つの古碑や周りの遺跡の解説もあるのでより理解が深まると思います。
2026年2月21日に見学。吉井石碑の里公園の木々の合間にあるコンクリートの覆屋にあります。目立たないため駐車場から入って通り過ぎてしまいました。覆屋の中に多胡碑があります。多胡碑は上野三碑のひとつ。また日本古碑のひとつでもあります。奈良時代の711年、朝廷からこの地域を「多胡郡」という新しい郡とすること。「羊」という人が支配すること。を記載した命令を記念した碑。「羊」とは誰か?という古代の謎が心ときめきます。覆屋の近くに、子供向けの説明板と特別史跡の説明板があります。
三碑はいずれも建物で囲んで照明をつけています。その中でもアクセスはしやすいところで、文字も割と鮮明です。
集落内にあり、すれ違いが難しいほど周辺の道は狭い。ただ、駐車場が用意されていて、20台ほど停めることができる。また、現地への無料バスも出ているとのことで、バス停の写真もアップしています。
多胡碑は上野三碑のなかでは2番目に古い711年(和銅4年)に建立された考えられています。この石碑は日本国内の中でも極めて古いものになります。碑文には当時の朝廷の偉い人の名も見ることができます。石碑のある公園内に資料館や駐車場もあって見学しやすいです。公園に入る道は幅が狭いので気になる方は、近くの吉井運動公園の駐車場が使いやすく石碑の場所にも歩いて簡単に行けるのでおすすめです。
| 名前 |
多胡碑 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
027-387-4928 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
金井沢碑の訪問が終わったタイミングで丁度無料バスが来てくれたので、予定はしてなかったのだけど運んで貰いました。いや見に行って良かった。綺麗に整備されていて公園には古墳まである。併設されている記念館も余裕ある造りで、ゆっくり見学出来ました。羊殿は伝説が沢山残っているようで、(碑の羊≠羊太夫という説もあるようですが)従者の小脛とのくだりは羽衣伝説や鶴の恩返しを連想させるし、原日本の説話として興味深いものがあります。北米とかにも同じ様な話有りそう。お話の景色と、現在の景色がリンクしてくるのが良いのですね。無料バス用意してくれてる自治体さん有難う。